出川哲朗

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出川哲朗
本名 同じ
ニックネーム 哲ちゃん、パイナップル博士
生年月日 1964年2月13日(45歳)
出身地 Flag of Japan.svg 日本 神奈川県横浜市神奈川区
血液型 B
身長 155cm
方言 標準語
最終学歴 横浜放送映画専門学院演劇科
グループ名 劇団SHA・LA・LA(創立メンバー)
芸風 リアクション芸
事務所 マセキ芸能社
活動時期 1985年-現在
同期 ウッチャンナンチャン
ダチョウ倶楽部
中山秀征 ほか
現在の代表番組 出川哲朗の俺をおいしくしろ!
過去の代表番組 ウッチャンナンチャン with SHA.LA.LA
ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!
ビートたけしのお笑いウルトラクイズ ほか
他の活動 俳優劇団座長(活動休止中)
配偶者 阿部瑠理子
受賞歴
2001年2005年an・an』嫌いな男ランキング1位(殿堂入り)
  

出川 哲朗(でがわ てつろう、1964年2月13日 - )は、日本お笑いタレント俳優劇団SHA・LA・LAリーダー(座長)。愛称は哲ちゃん

神奈川県横浜市神奈川区出身。血液型Bマセキ芸能社所属。妻は元レースクイーン阿部瑠理子ダチョウ倶楽部と並び、いわゆる「リアクション芸人」の代表格で、その芸風からリアクション王と呼ばれている。

目次

[編集] 略歴

横浜市立栗田谷中学校、私立武相高等学校を経て、1985年に横浜放送映画専門学院(現:日本映画学校)を卒業。

1987年2月、専門学校時代の同級生だったお笑いコンビウッチャンナンチャン内村光良南原清隆入江雅人らと『劇団SHA・LA・LA』(当初は『Project team SHA.LA.LA.』)を旗揚げし、公演を開始する(1998年8月まで活動)。この頃、『男はつらいよ』の第37作『幸福の青い鳥』と第39作『寅次郎物語』に端役で出演している。

1990年4月からは日本テレビ系列のバラエティー番組ウッチャンナンチャン with SHA.LA.LA』に出演し、この頃からテレビタレントとして本格的に活動を始める。その後、同局の『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』などにおけるドッキリ企画などの際の立ち振る舞いやリアクションの面白さが徐々にお茶の間に浸透し、次第にテレビ番組において欠かせない「汚れ役」としての地位を確立していった。また、これとほぼ同時期に、ウッチャンナンチャンがパーソナリティを務めるラジオ番組ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』に出演し、「男・出川哲朗!」のコーナーでフィーチャーされるなど人気を博した。

一方、有名税から色恋沙汰をはじめとしたプライベートな時間も犠牲にされ、多くの写真週刊誌ゴシップ紙の恰好のターゲットとなった(もっとも、本人はその事すらネタにしてしまっている)。またこの「汚れ」キャラクターが世の中に浸透していくにつれ、女性視聴者層から敬遠される傾向が出始め、女性ファッション誌『an・an』が毎年行なっている読者アンケート「嫌いな男ランキング」では毎年上位にランクインするようになり、2001年から2005年までに5年連続1位を達成し、「殿堂入り」扱いとしてアンケートから除外対象となった。

2004年4月5日、元モデルレースクイーン阿部瑠理子と結婚し、嫌われキャラとのギャップで世間を騒がせた。プロポーズの際には、テレビ朝日系列のバラエティ番組『ロンドンハーツ』が全面バックアップ。推定5,000万円の制作費を費やしてイタリアローマ市内でロケーションが行なわれ、一連の模様が全国ネットで放送された。

2008年1月に放送された特別番組『史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ'08』では、さまぁ~ず大竹一樹とのコンビで優勝。

2009年4月23日インターネット放送アメーバビジョンで、自身初の冠番組となる『出川哲朗の俺をおいしくしろ!』がスタート。

[編集] 人物

実家は横浜市の老舗海苔問屋『つた金海苔店』(株式会社蔦金商店)で、親族が経営している。バラエティ番組では幾度か祖母との共演がある。

武相高等学校の後輩に元プロ野球選手パンチ佐藤がおり、テレビ番組で共演すると出川は「パンチ、ジュース買って来いよ!!」などと先輩風を吹かせる事が多いが、佐藤が硬式野球部出身であったのに対し出川は軟式野球部出身で、当時接点はほとんど無かった。

役者修業時代の仲間にピン芸人エド・はるみがおり、当時はその美貌からマドンナ的存在であったという。

高校時代はヤンキーであったと自称しており、当時のあだ名は「切れたナイフ」だったそうだが、ネタギミックとして使われる事が多く、共演者からは、「“切れたナイフ”じゃ使い物にならないでしょ?」などとあしらわれるのがお約束となっている。

嫌煙家である。酒は飲まないものの打ち上げに参加する事は好き。その場では好物のコーラを飲んでいる。

愛車はポルシェ・911カレラ。

東京ヤクルトスワローズの熱烈なファンで、プロ野球シーズンはスケジュールの合間を縫って明治神宮野球場に足を運んでいる。出川が観戦する様子が野球中継で映された事もある。スワローズが敗色濃厚な展開の試合でカレーライスを食べながら観戦していた時、近くにいたファンに「カレー食ってる場合じゃねぇだろ!!」とヤジられた経験があるらしい。

女性ファッション誌読者が選ぶ「嫌いな男ナンバーワン」など、世間的にはいわゆる「嫌われキャラ」で通っているが、和田アキ子は「出川はそんな風に言われているけれど、性格もいいし、本当にいい奴」と述べているように、実際には芸人仲間やアーティストなど多くの芸能人から尊敬され、目上からも可愛がられている。しかし、当人は「自分は嫌われてナンボのタレントだから、いい話をされるのは営業妨害だ」と言って、余り表立って褒めないように言っている[1]

演技は下手ではないのだが、内村光良をして「哲ちゃんは何を演じても出川哲朗になる」(彼だけではなく他の人間からも同様の趣旨の発言がある)為か、俳優としての活躍はあまり無い。専門学校時代は「俺は三国連太郎になる」と宣言していたという。

以前から、夢は「単独司会のレギュラー番組を持つこと」と各所で語っていたが、海外・爆破ロケなどの長期収録企画に気軽に出演出来なくなってしまう恐れがあった為、なかなか実現に至らなかった。そして2009年4月23日に前述の通り『出川哲朗の俺をおいしくしろ!』がスタートした。ゲストが出川をおいしくするというタイトル通りの内容で、第1回のゲストは、苦楽を共にした大親友の松村邦洋が出演した。

2009年の父の日に向けて行われた[2] 『自分のパパがこの人だったら絶対にイヤ!』ランキングでは、女子高生ランキング1位、女子中学生ランキング3位に入っている。

[編集] 特徴

その声を聴いただけで本人と判る、舞台仕込みの大きなダミ声が特徴的。「ヤバいよヤバいよ」などの口癖は多くの共演者達にものまねされている(後述)。

プロフィール上の身長は160cmだが、実際には共演の多いナインティナイン岡村隆史より若干低い。

視力が悪いため、テレビ番組に出演する際などにはコンタクトレンズを使用している。

本人曰く「喉が赤ちゃん」の為、物を食べるのが遅い。

滑舌が悪く、よく噛んでいる。また、赤ちゃん言葉になる事が多く、妻へのプロポーズの際にも「あなたを心から愛ちていまちゅ。結婚ちてくだしゃい」と言った。この瞬間の模様は全国ネットで放送され、感動と共に爆笑を誘った。

手の小指の第一関節・第二関節だけを同時に90°曲げられ、指折りで数える時は親指から順番に拳を開いていくという独特の数え方をする。『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』で共演者らに驚かれた。他にも、手書き文字(フリップ)にも初歩的なミスが目立つ。また、「いい話」と書いたものが「ヒヒ話」と他の出演者に読まれてしまう独特の癖字を書く。

長年の無理が祟ってか、2006年頃から椎間板ヘルニア坐骨神経痛などを患った。2007年頃には歩行時には杖を使わなければならないほど悪化した。本人はテレビ収録が始まりカメラに映ると痛さを忘れてしまうと語る。その後、過酷なロケや罰ゲームなどが行なえないほど悪化したため(『ぐるぐるナインティナイン』の「グルメチキンレース・ゴチになります!」で共演している岡村から「普段杖ついてるような人とケンカできないです。」とダメだしを食らうほど)、2008年3月末に緊急入院し腰の手術を受け、10日程で退院・仕事復帰した。退院後、初仕事は同年4月17日放送の『アメトーーク!』の収録であった。

最近、アメトーーク!中井正広のブラックバラエティで「何故なんだ!WHY?!」といって、Yの字のポーズを取るギャグを個人的に気に入っており多用している。

[編集] 交友関係

ナインティナイン岡村隆史とは若手時代から数々の番組で共演し、厚い親交がある。互いに「こうあって欲しい」と思う理想像があるらしく、2004年に出川が結婚した際には岡村が「俺の好きな芸人が死んだ」「好きな芸人が結婚してもうて取り残された」「(夫人とマネージャーの涙に感動したが)あなたにおめでとうなんて絶対に言わん。さよならならなんぼでも言うたる、さよなら出川哲朗、ありがとう出川哲朗」と述べた。元ネタは『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』の人間性クイズで岡村が出川に鞭で叩かれマジギレするという内容で、それ以来、「ゴチになります!」ではスペシャル回に出川と岡村の乱闘がある(ケンカコント)。ちなみにテレビやラジオでは演出として出川は岡村を「岡村隆史」とフルネームで呼び、岡村は後輩芸人であるにも関わらず「出川哲朗」と呼ぶ場合がある。プライベートや演出がないときは岡村は「出川さん」と呼んでいる。

松村邦洋とは「戦友」とも呼べる間柄で、後述にもあるように出川がまだ無名の頃から彼のものまねを各所で披露して、知名度の向上に一役買っていた。

[編集] 出川ファミリー

土田と竹山は出川ファミリーのライバル組織(?)である上島竜兵主宰の「竜兵会」のメンバーでもある。

[編集] 芸風

大事な所で言葉を噛んだり、唐突に手や足を滑らせたり身体をぶつけたりする(本人がネタとして故意に行っているのか、たまたまそういった事態になっているのかは定かではない)。

リアクション芸の第一人者である事にプライドを持ち、経験から学んだ数々のノウハウを持っている。2008年11月14日放送の『未来創造堂』では、リアクション中の顔を撮影するヘルメットに装着したCCDカメラの使い方について、「顔の正面ではなくやや下の位置に着けて背景が映りやすいようにする」、「状況を伝えるため怖がりながら首を振って周囲の背景を映す」 、「レンズに水滴や砂粒が付着しても少量なら臨場感が伝わるので拭かない」などの実践的ノウハウを笑いを交えつつ紹介。ゲストで同席していた大地真央を感心させるとともに、番組ホストの木梨憲武からも「怖がりながら状況をトータルに把握して出来る芸人は少なく、まさにプロ」と賞賛された。

また、一般には「リアクションしか出来ない」と思われがちであるが、島田紳助は、『行列のできる法律相談所』や『人生が変わる1分間の深イイ話』などで共演した際に、「出川哲朗、代表作これと言って無し」などと冗談交じりに揶揄する事も多いが、「トーク番組において盛り上がっている状況では自分から出ていくことはせず、場の空気が沈みかけているところで自ら笑いを取っている」と出川の役割を解説し、「野球で言うたら2番バッター。試合(番組)を組み立てるには絶対に必要」と高く評価している。明石家さんまも自身の番組内で、「出川ぐらいの二流の芸能人になれればいい」などと発言したタレント志望の一般人女性に対し、「アホ! 出川は一流や!」と叱り飛ばすほど絶賛した事がある。この他にも、ビートたけしダウンタウンナインティナイン、同期のウッチャンナンチャンなどからの信頼も厚い。

[編集] ものまね

その特徴あるダミ声から、数多くのタレントにものまねされている。このとき、出川の口癖である「ヤバいよヤバいよ」というフレーズが使われることが多い。また、かつて出演していた『タモリのボキャブラ天国』のイメージが強いのか、語尾を「タモさーん」で締める者もいる。

内村光良は出川のものまねについて、「みんな哲ちゃんのものまねをする時『ヤバいよヤバいよ』って言うけど、『ほったら(そうしたら)』の方がよく使っている」として、「ほったら」を多用する。また内村は、「ないしょ」のポーズ(「しーっ」のアクション、普通は人差し指を唇の前に立てる)で何故か人差し指を眉間に当てる出川の細かい形態模写をする(出川本人曰く、「目はぁ、口ほどにものを言うからぁ」)。

大親友である松村邦洋は、出川があまり世間に知られていない頃から出川のものまねをやっており、1993年9月13日放送の『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」でまだ無名の出川のものまねをして会場が静まり返り、それをテレビで見ていた出川が松村に電話し「何で(売れていない)俺の真似をしたんだよ!?」と憤ったが、松村は出川が早く売れて欲しいという願いと共に「僕の出川さんのものまねは完璧なんです。あとは出川さん売れるの待ちですから」と出川の芸能界での成功を応援し、ものまねをやり続けた。これを聞いた出川は感動のあまり号泣したという。そして出川がテレビに出だした頃に松村が「番組で出川さんのものまねが受けましたよ」と嬉しそうに報告してくれたという逸話がある。この逸話は『リンカーン』のコーナー「芸人、その時歴史が動いた」でも再現された。また、日本テレビの特番でも自らプレゼンしたが、終了後のしんみりした空気の中で司会の田村淳が「『テレフォンショッング』じゃなくて『テレフォンショッング』なんだけどな~」と言い間違いをした事を残念がるが「それが出川さんのいい所」とフォローした。

[編集] エピソード

  • 「出川哲」と誤記されることが多い。親族が経営している『つた金海苔店』のホームページでも誤記されていたことがあったが、その後修正されている。なお、本人はこの間違いを全く知らなかったという[3]
  • 前述で島田紳助が出川を褒めたが、その場にいなかった出川に「褒めたから3000円」と呼びかけ、それをテレビで見ていた出川が、紳輔にメールでお礼の言葉と共に「3000円でもいくらでも払います」と送ったが、紳助から「ゴールデンタイムで褒めたからプラス1000円」と返信される。これに対し出川は「ピン札で払いましたよ」と言ったが、あくまでネタの範疇と思われる[4]
  • 島田紳助が吉本興業の女性マネージャーに暴行し、被害女性に傷害罪で告訴された際、「紳助さんは理不尽なことで怒る人じゃない」と発言、紳助を擁護した。
  • 進め!電波少年』の企画で、番組特製のコンドーム「バウドーム」をエイズ予防の目的で、オーストラリアシドニーゲイ達に配布した。すると、渡した途端に目の前でそれをつけ始め、すぐさま出川をマッチョな外人7人が取り囲み、お尻を奪ってしまった。その際に出川は「嫌だ! やめてくれ!」と叫んだつもりが「NO stop!(止めないで!)」と発してしまい、叫び声を上げながら企画は終了した(その模様は音声のみで放送され、スタッフがレイプされる出川を放置してそのまま待機していた)。この事について出川は「(お客さんが)笑ってくれたから救われた」と語っていた。なお、番組スタッフから後に軟膏を手渡されたという。
  • 同じく『進め!電波少年』の企画で、映画『プリティ・ウーマン』のリチャード・ギアのようにアメリカのコールガールを更生させる為に、モーテルの中でコールガールを説得しようとするが英語がまともに話せず、不審に思ったコールガールが仲間のマフィアを呼んでしまい、そのまま拉致されてしまう。その後出川はマフィア達に車の中で「お前は警察か?」と問いただされたにもかかわらず「YES」と答えてしまい、ついに「殺してやる」とまで宣告されてしまうが、出川の態度に疑問を持ったマフィアの一人に「本当に警察か?」と聞かれやっと「NO! TV!」と叫んだため、「もしあれを放送したらお前を殺してやる」と脅迫されながらも、なんとか無傷で解放されたが、番組側は何事も無かったかのように放映した。
  • 「抱かれたくない男ナンバーワン」に選ばれて、殿堂入りしている。
  • 夫人とはほぼ完全なセックスレス状態で、夫人の方から一方的に夜の営みを頑なに拒否されているという。ニューカレドニア島新婚旅行に行った時ですら、夜の営みを徹底して拒否されたと本人が語っている(しかもとったホテルは海上にロッジのように浮かんでいるロマンティックな所であり、「あんな所で断られたのは世界で俺1人だけ!」と嘆いている)。
  • ORANGE RANGEのNAOTOが出川のファンだということで、シングル『*〜アスタリスク〜』のレコーディングに参加したことがある(4曲目「*〜アスタリスク〜ロマンティックVer.」、歌詞の朗読を担当)。この依頼を受けた当初、この事を夫人に話したところ、「ORANGE RANGEがアンタのファンなわけないでしょ! どうせドッキリに決まってるでしょ!!」と言われ、レコーディングスタジオでは隠しカメラを探してしまったという。出川に依頼したことについてORANGE RANGEのHIROKIは「不器用な男が愛について語っている、という状況がカッコいい」と語っている。
  • 俳優として6年りに出演した連続ドラマ『ロト6で3億2千万円当てた男』では主演の反町隆史の年下の上司役を演じたが、実際には出川は反町より10歳も年上で、演じる年齢も9歳も若い役を演じた。
  • アメトーーク!』で、2週に亘って放送される「出川ナイト」の企画を持ち掛けられた際、出川は「自分だけで2週も出来る訳が無い」と難色を示すが、番組演出兼プロデューサーの加地倫三に「この企画は視聴率なんて二の次なんです。面白いから放送するんです。」と説得され、この男気に感動したという[5]

[編集] 偽ブログ騒動

2009年2月8日放送の『アッコにおまかせ!』で、第三者が勝手に出川の名を名乗って運営していた「出川哲朗公式ブログ」なるものが紹介された(現在は削除されている)。この事は番組で取り上げられるまで出川本人も知らなかった。これを受けて『出川哲朗オフィシャルブログ 俺の女の口説き方』という本物のブログを開設すると発表したが、他の出演者はタイトルに呆れていた。その後、実際に自身の誕生日である2月13日から上記のタイトルのブログを開設。Yahoo!ニュースなど、多くのインターネットニュースに取り上げられた。

ブログの内容は書いてることは書いているが、出川本人はパソコンの扱いに不得手で(本人曰く「昭和の男」)、手書きのメモをマネージャーに渡して、それを入力させて更新しているという[6]

[編集] 出演

[編集] バラエティ

など、多数。

[編集] テレビドラマ

[編集] ラジオ

[編集] 映画

[編集] インターネット

[編集] DVD

[編集] 脚注

  1. ^木曜Junk さまぁ〜ずの逆にアレだろ!?』(TBSラジオ)「関東お笑い祭」の回など。
  2. ^ 「女子中高生の「父の日」に関する意識調査 」
  3. ^ 2008年8月17日放送回『アッコにおまかせ!』
  4. ^ 2010年1月25日放送「1分間の深イイ話」より。
  5. ^ a b 2009年7月9日放送回「DVD発売記念」より。また、この回で、出川がまだ出演した事の無い『徹子の部屋』のシミュレーションを行った。後日、本来のゲストである雨上がり決死隊から、「先輩芸人で、まだ徹子の部屋に出演していない方」として紹介され、13:40ごろからエンディングまで出演した。
  6. ^ * 出川哲朗オフィシャルブログ

[編集] 外部リンク

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