内藤就貫

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内藤就貫
時代 江戸時代初期
生誕 寛永5年(1628年
死没 天和3年11月27日1684年1月13日
改名 沙門→内藤就貫
別名 通称:外記→勝三郎→半右衛門尉
主君 毛利秀就綱広
長州藩
氏族 藤姓内藤氏
父母 父:内藤元幸
兄弟 就玄就幸就貫
貫俊
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内藤 就貫(ないとう なりつら)は、江戸時代初期の長州藩士。父は内藤元幸

生涯[編集]

寛永5年(1628年)、長州藩士・内藤元幸の三男として生まれる。

毛利秀就の側近として仕え、寛永12年(1635年1月11日外記仮名を与えられた。正保2年(1645年5月5日半右衛門尉の仮名に改められると共に、「就」の偏諱を与えられて就貫と名乗った。

天和3年(1684年11月27日に57歳で死去し子の貫俊が跡を継いだ。

参考文献[編集]