プロジェクト‐ノート:学校/学校問題の記事の作成はどこまで認められるべきか、あるいは一切認められないのか

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学校問題の記事の作成はどこまで認められるべきか、あるいは一切認められないのか[編集]

目蒲東急之介です。さて上記の#学校関係者が関係した事件をどこまで学校の記事に掲載するかと重複する部分はありますが、Wikipedia:削除依頼/秀明八千代自殺事件の削除依頼を当方で提出しましたが、その議論内で「全国紙に多数掲載され、人が死んでいるので特筆性はある。だから自殺事件の記事は認められるべきだ(当方で要約した他の利用者の言い分)」とありました。これに関しまして「学校の問題の記述をどこまで認めるのか、あるいは一切認めないのか」を議論したいと思います。

当方は「(学校の問題は)社会的影響の大きかったもの(一例を挙げると各学校での未履修問題や校内の殺人事件等の大きな社会的問題になったもの等)でも無い限り作成すべきではない」と考えております。理由は「全国紙に多数掲載され、人が死んでいるので特筆性はある」を理由とした場合は「これを盾にして学校内の問題や死亡事故や自殺の単独の記事が乱立してしまう」恐れがあるので一切認めるべきではないと思っております。

これに関しまして皆様からのご意見・ご反論・その他ご対案等がありましたら下記にお願いします(個人的にはプロジェクトページのガイドラインにも作成基準を掲載すべきとは思っておりますが)。--目蒲東急之介 2011年1月10日 (月) 07:03 (UTC)[返信]

  • コメント 人命が関わっているから即、特筆性があるという短絡的な問題ではないように思います。wikipediaは情報を無差別に収集する場所ではありません。校内で自ら命を絶つ事例を全国紙で報じられたことを理由に、例外無く端から記事を立項していったのでは収集がつかなくなります。私の意見としては、校内で起きたこれらの問題を記事として記す一定ラインとして、殺人、傷害など犯罪性の高い刑事事件、また、いじめ、学校側の不適切な対応が自殺の直接の原因であるとの因果関係を学校及び関係者が認めた場合、或いは司法によって公に認められた場合に限定すべきと考えます。もちろんこれも第三者の信頼すべき出典が必要であることは言うまでもありません。また、これ等の記載は当該校記事内で記述する事を基本とし、余程特異な事例で無い限り単独記事にする必要は無いと考えます。--さかおり 2011年1月10日 (月) 08:33 (UTC)[返信]
  • コメント 児童・生徒が自殺した事件については毎年全国的に多く見られるものであること、いじめがあった場合に未成年者の保護の観点などにより情報は制限されたものとなります。児童・生徒が亡くなった場合以外に体罰がありそれに対して損害賠償を求めるケースもありますが遺族や被害者が訴えを起こし裁判が結審したようなもの以外はあまり独立記事を作成するべきではないと思います。こうした記事ではしばしば関係者なのか社会正義に燃えた方なのかわかりませんがWikipedia:中立的な観点に欠ける編集がなされることが多いように思います。こうした記述は抑制的であるべきだとは思いますが社会的影響の大きかったものという曖昧な部分に対して個々の利用者の認識が異なるものとも思いますのでプロジェクトへの議論参加者がそれほど多くない中、統一基準を作成したとしても拘束力が弱いのではと思います。ある程度は削除依頼での審議の積み重ねなどが必要と思います。--Tiyoringo 2011年1月10日 (月) 08:56 (UTC)[返信]
  • ええっと、書くのはここでよいのでしょうかね。まず最初に、目蒲東急之介さんは削除依頼の方で、私とイマフノフ氏の同一性を疑う発言を撤回されていることをご指摘申し上げます。私としては、疑いを晴らすためのチェックユーザーに反対しません。本論の詳細は明日にでも書きますが、複数の全国紙で報道されたり、テレビで取り上げられた児童・生徒等の自殺事件は当然記事立てされてしかるべきと考えています。--カレル・シュタミッツ 2011年1月10日 (月) 13:27 (UTC)[返信]
    • イマフノフ様、カレル・シュタミッツ様、今回当方の判断ミスで結果的にご不快感を与えてしまい大変失礼しました。軽率な発言であったことを深くお詫びします。さて本題ですが当方は(一部上記と重複しますが)社会的影響や社会的な問題(学校側の責任の有無は別問題として)となったもの(これは何も学校内自殺に限った事ではないが)であれば作成しても良いと考えております。ただ余りに乱立してしまうのは考えものですが。--目蒲東急之介 2011年1月10日 (月) 13:35 (UTC)[返信]
  • 削除依頼のほうにも書き込みましたが秀明八千代中学・高等学校の記事にもこの件を簡潔に書きリンクをIPユーザーの方が行ったように「詳しくは秀明八千代自殺事件を参照」のように加筆すべきではありませんか?
  • コメント 利用者:イフマノフ会話 / 投稿記録 / 記録氏が議論かく乱の疑いで無期限ブロックされました。ただし氏が編集に参加した記事に履歴のある利用者でブロックされた方は今のところおりません。--Tiyoringo 2011年1月10日 (月) 16:29 (UTC)[返信]
  • (コメント)何処にぶら下げるか一寸迷ったのですが、Wikipedia:削除依頼/秀明八千代自殺事件について、当該記事の「参考文献」として示されている毎日jpおよびMSN産経ニュースの内容を調べたところ「現在の記事」の出典として扱うには不適当と思われることが判明したので、削除依頼に関わった方にはもう一度お越し頂ければと思います。--KAMUI 2011年1月11日 (火) 09:15 (UTC)[返信]
    • 反対 先ほど削除以来の方を再度見ましたが、明確に取り下げが宣言されて、議論の場がこちらに移っているのです。あちらの依頼は迅速にクローズされるべきです。--星海聖夜 2011年1月12日 (水) 01:11 (UTC)[返信]
  • 報告 利用者:本郷憲正会話 / 投稿記録 / 記録のソックパペットとしてカレル・シュタミッツ氏が無期限ブロックされました。ですが議論は引き続きお願いします。--目蒲東急之介 2011年1月13日 (木) 15:31 (UTC)[返信]

(具体的な基準の提案)

記事を立てること自体を大幅に制限するのは反対です。大人と違って判断能力の未熟な児童・生徒の自殺は、それ自体が社会全体として受け止めなければならない問題です。中でも、学校生活との関係性が指摘されている場合や現に学校で自殺した場合などは、特に特筆性が高いのであって、単独記事が立てられて当然だと考えます。--星海聖夜 2011年1月12日 (水) 01:21 (UTC)[返信]

  • (コメント)上記さかおりさんによるコメント(引用します)「校内で起きたこれらの問題を記事として記す一定ラインとして、殺人、傷害など犯罪性の高い刑事事件、また、いじめ、学校側の不適切な対応が自殺の直接の原因であるとの因果関係を学校及び関係者が認めた場合、或いは司法によって公に認められた場合に限定」という条件設定に賛成します。「関係性が指摘されている」、「現場が学校であった」などのレベルではウィキペディアの記述によって、誤った認識が一人歩きする可能性が高く、(ウィキペディアは報道メディアではないものの)記事の作成や記述によりその事象を参照できる存在としては[[自殺を予防する自殺事例報道のあり方]に書かれている内容に対して一定の考慮をすることが望ましいでしょう。星海聖夜さんのおっしゃる「社会全体として受け止めなければならない問題」についてですが、「ウィキペディアが社会全体として問題を受け止める存在であるかどうか」という前提論に対していろいろな意見が出てくると思われます。私個人の意見としては、単独記事が立てられて当然とはまったく思いません。--海獺 2011年1月12日 (水) 02:09 (UTC)[返信]
  • (コメント)1月12日01:11で星海聖夜さんからあちらの依頼がクローズされるべきだというご意見がありましたが削除依頼者による依頼者票が取り下げられても他に削除票を投じている方がいる状況では即クローズということにはなりません。自殺についての統計が文部科学省にありましたので参考に示します。[1](PDF)。これによると高校生以下の自殺が平成19年度に158件、うち不明がもっとも多く88件、自殺が5件となっています。学校側が自殺と認めていないものはおそらく自殺の件数に入っていないものと見られます。--Tiyoringo 2011年1月12日 (水) 04:08 (UTC)[返信]
  • (コメント)「校内で起きたこれらの問題を記事として記す一定ラインとして、殺人、傷害など犯罪性の高い刑事事件、また、いじめ、学校側の不適切な対応が自殺の直接の原因であるとの因果関係を学校及び関係者が認めた場合、或いは司法によって公に認められた場合に限定」という条件設定には、固く反対します。情報は真実に合致する限り自由に流通させるのが、民主主義国家の基本です。児童・生徒の保護は、実名記載禁止など、記事の内容面で図るべき(私が記事を作った桐生の事件でもマスコミは自殺した生徒の名前を実名で繰り返し報道していた)であって、自殺事件自体を隠蔽してしまうべきではありません。学校の記事の中で書くべきかはともかく、刑事事件やいじめが直接の原因であると学校等が認めた場合なんていうのは狭きに失します。滅多なことでは学校は因果関係なんて認めようとしないんですから。私が記事を作った桐生の事件でも、当初学校はいじめ自体がないとしていて、追及を受けてようやくいじめの存在を認めました。それでも因果関係は認めません。かぎカッコ内引用部では基準が厳しすぎです。--カレル・シュタミッツ 2011年1月12日 (水) 07:49 (UTC)[返信]
  • コメント削除依頼審議議論当初から申し上げておりますが、wikipediaは告発、社会的制裁、このような事を社会へ発信する場所ではございませんし、言うまでも無く報道でもマスコミでもございません。新聞記事に掲載された事柄を楯にとって記事作成の妥当性を認めてしまったら、それこそ情報の無差別収集になりかねません。情報は真実に合致する限り自由に流通させるのが、民主主義国家の基本です、などと仰っておられますが、それは報道での話であります。マスコミにしてみれば事件事故などを毎日報道する事がひとつの目的でしょうけれど、wikipediaでも同じ事だとお考えなのでしょうか?私が上で仮提案させて頂いた「基準」は、この類の記事が無差別に立項されるのはwikipediaでは好ましくないと考えるからでありまして、貴殿のかぎカッコ内引用部では基準が厳しすぎです、という、あたかも「類似する事件事故記事を今後も作成する」意欲満々とも取れるスタンスとは相容れません。学校に限らず、各種組織、個人の名誉毀損になりかねない記事には慎重な上にも慎重なスタンスで編集に臨むべきであり、大袈裟な話ではなく、事と場合によってはwikipediaに対する法的リスクすら憂慮されます。だからこそ、上記のような「基準」を設けるべきなのです。事実であるからと無差別に記事にして良いはずがございません。何卒Wikipedia:名誉毀損を御熟読頂けます様お願い申し上げます。--さかおり 2011年1月12日 (水) 09:48 (UTC)[返信]
  • さかおり 氏の意見に同意します。--パタゴニア 2011年1月12日 (水) 11:38 (UTC)[返信]
ウィキペディアはマスメディアではありませんが、もはやソーシャルメディアなんですよ。ウィキペディアについて書かれた本にそう書いてありました。本義が百科事典であることは言うまでもありませんけどね。次に、情報の無差別収集について、誤解があるようですね。情報の無差別収集というのは、今日のある道路の交通量だとか、日経平均株価の終値であるとか、日々必然的に発生するであろうデータ・情報を逐一ウィキペディアに載せても仕方ありませんよということなんです。児童・生徒の自殺が日々必然的に発生することですか?違いますよね。児童・生徒の自殺は、それ自体が事件です。最後に、名誉毀損について。ウィキペディアでは、方針文書上、存命中の個人と法人・組織等の間で大幅に基準を変えています。法人・組織等の名誉についてそのように厳格に考えることは、現在の方針文書の考え方にそぐわないのではないかと思います。世の中に起きる出来事は、特定の法人・組織にとって喜ばしいこともあれば、喜ばしくないこともあるでしょう。しかし前者だけ載せていたのでは、ウィキペディアは太鼓持ちになって中立性を失ってしまうでしょう。ましてや大手新聞を出典にしてもなお名誉毀損うんぬんというのは、過剰反応だと思います。名誉毀損とならない範囲で、出典に基づくなど他の方針に従いつつ真実を忠実に述べることこそ中立性ではないでしょうか。--カレル・シュタミッツ 2011年1月12日 (水) 11:58 (UTC)[返信]

チェックユーザー提案[編集]

イマフノフ氏が議論かく乱の疑いでブロックされましたが、その「本体」として誰もブロックされていないという、おかしな事態になっているようですね。そこで「本体」があるのか(本当に議論かく乱をしたのか)、及び「本体」があるなら誰なのかを明確にして今後の議論を進めるべく、チェックユーザーを提案します。

  • 審査範囲:「秀明八千代の削除依頼に現れた方全員、及びこの節(どこまで記事作成を認めるかの節)に現れた方全員」と、「イマフノフ氏」との間に同一性が認められるかどうか
  • チェックユーザー後の対処:同一性が高度の蓋然性で認められる参加者が出た場合は、無期限ブロック。高度の蓋然性で同一性が認められる参加者が出なかった場合は、イマフノフ氏のブロックを解除。

以下に、賛否をどうぞ。合意ができたと見えたら私がチェックユーザーを申請します。--カレル・シュタミッツ 2011年1月10日 (月) 22:54 (UTC)微修正--カレル・シュタミッツ 2011年1月10日 (月) 23:20 (UTC)[返信]

(賛否の表明)

  • イマフノフ氏は無期限ブロックとなったのでCUの必要性が無くなったと判断します。--目蒲東急之介 2011年1月10日 (月) 23:41 (UTC)[返信]
    • イマフノフ氏が誰かの分身でないならば、イマフノフ氏を復帰させて議論に参加して頂くべきです。現状では、「議論かく乱」が理由でありながら「本体」が不明なので、イマフノフ氏のブロックの正当性は、極めて疑わしいと言えます。
    • したがってCUの必要性があると考えます。私も、疑われたまま議論するのは気分が悪いです。不当に説得力が減殺されるおそれがありますし。--カレル・シュタミッツ 2011年1月10日 (月) 23:47 (UTC)[返信]
    • イマフノフ氏の履歴を見てください。秀明八千代の記事・同削除依頼・このページのこの節(ローカルルール作成の節)しか参加していません。本当にブロックが正しくて、彼(ないし彼女)が「分身」なら、「本体」は、秀明八千代の記事・同削除依頼・このページのこの節(ローカルルール作成の節)にいることになります。とすれば、チェックユーザーしないとダメじゃないですか。また、ブロックが正しくないなら、彼(ないし彼女)を即刻復帰させて、議論にご参加頂くべきです。違いますか?彼(ないし彼女)の「本体」でない限り、CUに反対する理由はないと思いますよ。--カレル・シュタミッツ 2011年1月10日 (月) 23:58 (UTC)[返信]
      • 当方も最初は疑っておりましたがその後の再精査で撤回しております。ですので現在はもう疑っておりませんのでご安心願います。ただCU実施をするのかについては皆様に一任します。--目蒲東急之介 2011年1月11日 (火) 00:38 (UTC)[返信]
  • 反対 該当記事の履歴中にIPユーザーがおります。これらのいずれかまたは全てと同一ユーザーの疑いというものかもしれません。IPとアカウントのチェックユーザーは依頼できませんのでその場合も考慮するとチェックユーザー依頼では対応できない部分がありますしイマフノフ氏のブロックを解除するべきではないでしょう。--Tiyoringo 2011年1月11日 (火) 01:12 (UTC)[返信]
    • Tiyoringo様のご明察には頭が下がります。私が想像もしなかったことです。しかし議論参加者にはIPさんはいません。貴殿の仮定が正しいのならば、IPで記事投稿したイマフノフ氏が、議論も含めて本格的に参加するためにアカウントを取得しただけ(極めて健全)なのではないでしょうか?だとしたら、議論かく乱ではないので、不当ブロックであり、ブロック解除依頼をしてイマフノフ氏を復帰させてから本論を進めるべきだと思いますが、いかがでしょうか?--カレル・シュタミッツ 2011年1月11日 (火) 01:29 (UTC)[返信]

(提案取り下げ) ブロックした海獺様からもメッセージを頂き、私なりに考えましたが、どうも提案の前提となる事実認識に誤りがあり、またCU提案したことが、こちらでのスムーズなルール作成の障害になっていることに気づきました。大ベテランのTiyoringo先生からもダメ出しされてしまいましたし。当初私とイマフノフ氏の同一性を指摘する声があり、撤回されたもののその後にイマフノフ氏が多人数を装った議論かく乱で無期限ブロックされたため、私もナーバスになってしまっていたんだと思います。というわけで、CU提案は撤回致します。目蒲東急之助さんが削除依頼を取り下げられたように、人間、間違っていると気づいたら自ら速やかに訂正しなければなりませんね。今回は自分の未熟さを自覚しました。以下、現在ブロックされていない、削除依頼及びこのページの議論参加者に、同一人物はいないということを参加者全員の合意として確認して、議論を再開するということでよろしいでしょうか?よろしければ、議論を再開願います。お手数おかけしました。--カレル・シュタミッツ 2011年1月11日 (火) 08:07 (UTC)[返信]

本論に戻って:一般要件のかさ上げないし新たな要件賦課か、それとも一般要件の具体化ないし代替要件か[編集]

  • チェックユーザーを提案したので、議論の枠組だけ提起するにとどめます。
  • 今、ローカルルールを作ろうとしているわけですよ。そのローカルルールの位置づけについてです。これについて合意ができないと、その後の議論が空回りしてしまいます。
  • 今作成しようとしているローカルルールは、従来の一般要件(特筆性など)をかさ上げしたり、あるいは別個独立の立項要件を賦課するものでしょうか?それとも従来の一般要件をより具体化ないし明確化するもの、ないしは従来の一般要件(例:特筆性)に代わって要求するものでしょうか?前者の場合、特筆性などの一般要件は満たした上で、さらに今回新たに設定する要件を満たす必要があるということです。後者にして例えば「特筆性の具体化(または代替)」と位置づければ、特筆性ガイドラインは検討されることなく、代わりにローカルルールを満たせば立項が許されることになります。
  • どちらの位置づけか、明確にしておく必要があるでしょう。なお、私は前者であればローカルルール作成自体に反対、後者なら内容を具体的に検討し、提案していきます。なぜなら、学校記事はプロジェクト参加者以外も作成するので、一般要件だけ見て新規に記事を作成した人が、ローカルルール違反で記事削除、となるのはよくないと思うからです。ローカルルールは記事作成の要件をかさ上げしてはならず、一般要件で定まっていない細かな部分を定めて明確化したり、記事分野に応じた適正な内容になるよう内容的な指針を定めるにとどめるべきだと考えています。--カレル・シュタミッツ 2011年1月10日 (月) 23:39 (UTC)[返信]
あなたの言う「後者」の方でないと意味がありません。なぜなら、「前者」の方にした場合、特筆性が認められるか等をめぐって削除依頼の審議を繰り返さなければならないからです。このローカルルールは特筆性等の一般ルールを当該プロジェクトにおいて具体化したものとして制定し、立項の明確な基準として機能させるべきです。--星海聖夜 2011年1月12日 (水) 01:14 (UTC)[返信]

過去の削除依頼での結論[編集]

関連した議論について参考に示します。--Tiyoringo 2011年1月11日 (火) 11:19 (UTC)[返信]

生徒・学生が自殺した事件のうち特筆性をもとにした削除依頼は1件だけしか見つかりませんでした。