ノート:M41 (天体)

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

単位の表記と印象的表現について[編集]

単位については、参考文献の「中野繁 星雲星団の観測 恒星社、1978年」から直接引用したもので、当時の技術を常識的に考えるなら、焦点距離に違いないと思います。しかし、引用に関しては変更を加えないことが原則だと思いますので、そのまま引用しました。

星雲星団の印象表現は、プレアデス星団のアルキオネが増光したのではないかとする説や、シリウスが元々赤く光っていたのでないかとする説など、何らかの発見や疑問につながることがあるかも知れないと思い書きました。また、アマチュア天文家が天体を見て、自分の環境(見る場所や機材)での見え方とどのように違うかを確かめることで観測のヒントになるのではないかと思っています。

また、本当に多数の天体について、このような記述を記載しています。これらを全部不要と削除しろというのでしょうか?--らんで 2008年2月3日 (日) 13:23 (UTC)[返信]


まず基本的な点からですが次のルールをご覧ください。「Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#文章を丸写しすること」。もし引用であるならば最初から出典を明記することが必須となります。
次にその引用の内容についてですが、観測器機の性能(望遠鏡の分解能は焦点距離でなく口径によります)や観測年代がきちんと特定できたり、観測内容に新規性があったり、星表の成立史に資する内容であれば、有意な情報であり百科事典に記載すべき事柄です(M41の記事であればラカーユやアリストテレスの件はそれらに該当するでしょう)。しかしそれらが曖昧でA氏にはこう見えた、B氏にはこう見えたいう感想を並べただけでは、百科事典に載せる意味がない主観的印象の域を出ないと思います。観測者についてもマラスやジョーンズと書かれただけでは、どこの誰か特定できず読者にとって不可解な記事となるでしょう。
上記の点を考慮いただいた上で、該当する記事を書き直されることを期待します。--58.3.181.115 2008年2月3日 (日) 14:55 (UTC)[返信]

分かりました。引用を明記したいと思います。しかし、分解能は口径というのは疑問ですね。昔は潤沢にアイピースを準備できたのでしょうか。そうなると高倍率に強く、より分解できるのは焦点距離が長い望遠鏡ということになると思いますがどうでしょうか。また、現在のように色消しレンズが当時は普及していたのでしょうか?色収差の少ないレンズが星の分離には有利ですが、同じレンズでも焦点距離が長くなれば色収差は少ないはずです。

マラスやジョーンズの観測家たちのことはできれば調べて書きたいと思います。しかし、過去の観測家たちがどのように見たかというのは私は依然として重要だと思うのですがね。何らかの発見があるかも知れないという点で。--らんで 2008年2月3日 (日) 16:04 (UTC)[返信]

実際に観測を行なうにあたり、「こういう風に見える」という情報は、重要だとは思います。印象的表現について仰りたい事はごもっともだとは思いますが、さほど有名ではないと思われる観測者の印象まで網羅して記載したいとのお考えをお持ちなのでしょうか?
ある観測記録から何らかの発見につながった、という重要な「事実」があれば、観測者の名前も含めてこの場に記載する価値があるとは思いますが、単なる主観的な印象を羅列するのは、ここに記載する情報の価値としてはあまり高くないと考えます。
観測者の名前付きで印象を記載するのは、2、3例を示せば充分ではないでしょうか。今回のようなメシエ天体であれば、天文学上で重要な足跡を残した人物の観測記録が揃っていることが多いので、引用に困る事は無いでしょう。
その他の印象については、「この様に見える」程度の記載が参考例として載っていれば充分だと思います。
あくまでも自分の主観による意見ですので、ご参考までに。--ヒムカアオイ 2008年2月4日 (月) 18:01 (UTC)[返信]
この件については私も興味をもっておりますので、できる範囲でご協力できればと思います。まず、アクロマートの発明は1729年、ホールによって行われ、1758年にドロンドによって特許が所得されたとのことです。[1]。このあたりの経緯は「新版 屈折望遠鏡光学 吉田正太郎 ISBN-13: 978-4416205181」に掲載されていたのを記憶しています。この書籍は現在手元にありませんが、もし宜しければ参考にして下さい。GcG / avatar of femtowaros 2008年2月4日 (月) 18:43 (UTC)[返信]
アクロマートは優れた技術ですが、赤と青の収差が合っていますが、紫が合っていませんよね。ヘベリウスは全長47.5mの焦点距離が長い空気望遠鏡を使い収差を改善しようとしました。倍率が高くなり、重くなるからかなり扱いづらいとは思いますが。--らんで 2008年2月5日 (火) 13:30 (UTC)[返信]

マラス(John H. Mallas) やジョーンズ(Kenneth Glyn Jones)はそれぞれ次の書籍の著者です。 The Messier Album [2] Messier's Nebulae and Star Clusters [3] M40をウインネッケ4と同定したのがマラスです。

彼らの観測情報は観測系の天文書籍である「メシエ天体カタログ」[4]などでも詳細に紹介されています。日本では天体撮影系の天文書籍は多数ありますが、初心者向けを超えた天体観測系の書籍はほとんどなく、スケッチが記載された天文書籍はほとんどありません。これは、現在の日本の状況(光害が酷く、高額な望遠鏡を趣味で買える余裕がある人が、肉眼では詳細な星の観察が難しい地区に多く住んでいる)と無縁ではないと思います。 私は田舎の夜空が非常に暗い場所に住んでいて、写真よりも眼視系の観測を好みます。従って、観測系の情報は私には結構重要なものと思えてならないのです。 また、Hα線の問題もあり、天体写真が「見たとおり」の星雲星団を映し出しているわけではありません。 --らんで 2008年2月5日 (火) 13:30 (UTC)[返信]

マラスとジョーンズが、天体観測の分野で業績を残している事はよく分かりました。ただ、この両者が「M41」の研究にどのくらい貢献したのか、新事実の発見に結びついたのか、という事を考えると、観測をし、印象を述べた(スケッチもしたのでしょうか?)のでは、現時点でここの記事に記載する理由としては弱いのではないでしょうか。
仰るとおり、眼視観測に特化した書籍は少ないですし、眼視観測に関する情報が重要な事は、一応承知しているつもりですので、観測に関する情報を出来るだけ多く記載したい、というお気持ちは分かります。しかし、ありとあらゆる情報を羅列した結果、読みづらく、敬遠される記事になってしまう可能性も捨て切れません。興味を持ってもらいたくて編集したのに、敬遠されては本末転倒です。
ネット上の情報はここが全てではありません。詳しい情報は別のサイトで調べれば良い訳で、ここに全ての情報を羅列して詰め込む必要は無いと思うのですが、如何でしょうか。今後の編集の際に、この点ご考慮いただければ、より良い情報の選別が出来るかと思います。--220.209.162.226 2008年2月5日 (火) 14:24 (UTC)[返信]
そうですか?本文の内容はそれほど情報が詰め込まれたものとは思えないのですが。記事の内容としては少ない方なのではないでしょうか。書籍やネットでも眼視の情報はそれほどなく、多くの観察事例を集めたところで大した量にはならないはずです。また、広範囲な分野を網羅的に扱う「百科事典」をこのWikipediaが目指すなら確かにあまりに細部にわたる記述は問題があるでしょう。しかし、Wikipediaは現在拡張を続けて「日本史百科辞典」「世界地理百科事典」等のかなり専門的な記述をも許容しつつあり、そのような専門百科事典の集合体というイメージとしてとらえるなら問題はないと思うのですが。--らんで 2008年2月5日 (火) 14:37 (UTC)[返信]
マラスとジョーンズ(他にスミスなど)の記述について「メシエ天体カタログ」のステファン・ジェームス・オメーラは興味深い記述をしています。それは、M41にある赤い星の二重星に関する記述です。極めて目立つこの赤い星の二重星を各観測家が全く異なった記述をしている(たとえばマラスは「中心にある有名な(単独の)赤い星」と表現している)点などから、片方の赤い星が変光しているのではないかと推測しています。このように、各観測家の記述は無駄ではないと思います。--らんで 2008年2月6日 (水) 10:20 (UTC)[返信]

本件の本題に戻らせていただきます。例の出典元となった本の著者である中野繁氏はご存命でいらっしゃるようですので、[5]「8フィートとは何か」が気になるようでしたらコンタクトをとられてはいかがでしょうか?GcG / avatar of femtowaros 2008年2月5日 (火) 18:49 (UTC)[返信]

マラスとジョーンズに関して、「さほど有名でない」と評したのは、こちらの不勉強でした。失礼いたしました。様々な観測家について深い知識をお持ちとお見受けしましたので、その分野についての記事充実に期待いたします。 ところで、単位の表記に疑問の残る記述を引用した箇所が割愛された事にご不満をお持ちのご様子ですが、引用にあたり、元の記述に少しでも疑問があったなら、検証をして、疑問や曖昧さを完全に解消するまでその部分の引用を控えておいたほうが良かったのかもしれないと思いますが、どうでしょうか。当時の常識に照らし合わせて、とはいっても、当時の常識を知識として持ち合わせる読者が全てという訳では無いですから、「この記述には疑問がある」と感じる読者がいても仕方が無いと思うのですが。どのような人がこの記事を読み、どう感じるのかを念頭において、出来るだけ多くの人に疑問の余地を残さない表現、記述を考えていただければ幸いです。--ヒムカアオイ 2008年2月6日 (水) 13:14 (UTC)[返信]

分解能と口径と焦点距離の関係について、述べさせていただきます。分解能の限界は、焦点距離と口径の密接な関係により決まることはご存じだとは思います。望遠鏡の倍率の限界を示すものとして、「口径(mm)の2倍程度」、と言われますが、この限界は分解能の限界です。倍率は焦点距離によって求められますよね。同じ焦点距離であれば、口径を大きくすれば分解能の限界を上げる事が出来ますが、同じ口径の場合、焦点距離を大きくすれば、限界は下がります。色消しレンズを始めとする、高性能な光学部品が登場する前であれば、なおさら分解能の限界を上げる手段は、口径を大きくする事であったと想像できます。この点ご考慮のうえで、「分解能は口径による」という認識に対し、疑問をお持ちなのでしょうか?--220.147.3.100 2008年2月9日 (土) 11:26 (UTC)[返信]

基本的には分解能は口径に依存するのは私も了解しています。前の書き方が誤解を招くような書き方でした、すみません。しかし、絶対にそれが言い切れるかというと、そうでもないのではないかと言っているのです。口径を大きくするのは確かに有効ですが、色分解能やレンズの精度(焦点距離が短いと曲率が大きく高精度なレンズが要求される)の問題があり、そのため空気望遠鏡が作られたのではないのですか?したがって、焦点距離を伸ばした方が分解能が上がったとする記述の解釈は間違いではないと思います。--らんで 2008年2月12日 (火) 10:37 (UTC)[返信]

当時製作可能な部品の制度を考慮に入れると、使用していた個々のレンズの性能のバラツキの大きさ、許容範囲による対象物の見え方の差は大きかった事が想像されますし、焦点距離が長く、比較的分解能の高いものがあったのは確かなのでしょう。焦点距離により望遠鏡の分解能が上がったというのは、「当時の技術を常識的に」考えれば、不自然ではないのかもしれませんが、現在の技術を常識的に考えるといかがなものでしょう?
ところで、本題です。今回懸案となっていると思われる

>「大犬の首ちかく、8フィートの器機で見たときだけ星が識別できるが、2~3フィートの器機ではただの星雲状にしか見えない」

:という部分ですが、現在のところこの単位が指しているのは口径なのか焦点距離なのか、現在の表記では判然としていません。あらぬ誤解(こんな時代に口径8フィートの望遠鏡があったんだ)を起こさぬために、判然としていない部分について、疑問の余地が無くなり、解消されるまで当該部分の非表示化を提案したいと思います。この様な誤解が起こらないと断言できますか?--220.147.3.100 2008年2月13日 (水) 14:50 (UTC)[返信]

なぜ「現在の技術を常識的に」使用するのでしょう。誤解を生じるおそれがあるとしていますが、そのようなことは少し当時の状況(空気望遠鏡の存在や当時の望遠鏡の口径)を調べれば分かることでしょう。括弧付きで「(焦点距離の事と思われる)」とでも表現するのは駄目なのでしょうか。また、マラスやジョーンズの名前を復活することはよろしいですね?--らんで 2008年2月14日 (木) 12:23 (UTC)[返信]

「現在の技術を」という表現は、上の方で「当時の技術を常識的に考えるなら」という表現を見て、意図的に加えました。当時であれ、現在であれ、「常識」と呼ばれるモノを基準にした判断に対して違和感、不快感を感じていただけたでしょうか?
当該部分の非表示化については、あくまでも此方の発想による提案ですので(「貧弱」で「狭小」で「不快」な発想で済みませんでした)、何が何でも非表示でなければ駄目、というつもりは全くありません。括弧書きで記載するのは、「個人的」には異論はありません。マラスとジョーンズについても、此方には復活を容認する権限はありませんが、個人的には特に異論はありません。ただし此方の意見が絶対というわけでも無いし、他の方がどのような意見をお持ちかは分かりませんが。
「少し調べれば分かる」、というのはある程度知識を持っている側の「傲慢」な意見だと思いますが。全ての読者が調べようとするとは限りませんし、こちらで読者が調べるかどうか監視、強制出来るわけでもありません。出来るだけ多くの読者に情報を提供しようとするなら、出来るだけ多くの可能性を視野に入れて(例えば「調べない読者がいるかもしれない」、「この記事が全てと信じる読者がいるかも」、といった事柄)編集をしなければいけないと思います。
此方はどんな文章でも常に誤解される可能性がある、というスタンスで編集をしています。誤解を100%排除するのは非常に難しいですが、出来るだけ誤解を生じさせない表現を常に模索しています。当該部分は、単位が何を指しているのか曖昧でしたし、それについて調べる読者が全てでは無い、という事などを考えると、充分誤解を与える可能性があると思います。
ご自身の書き込みに対する相当な自信とこだわりがお有りのようですね。自信たっぷりの書き込みをイジられたら確かに不快ですね。ここで意見を述べても余り意味が無いように感じましたので、今後ここに口出しをするつもりはありません。長々と居座り、不快な思いをさせて失礼しました。--220.147.3.100 2008年2月14日 (木) 14:17 (UTC)[返信]
前半は了解しました。しかし後半は決めつけが多いと感じます。冷静な論議を期待します。私も指摘を受ければ修正を受け入れますし、論議内容に応じた提案もしていますよね?完全に「傲慢」なら論議すらしないのではないでしょうか?しかし、納得できる意見も多いので今後参考にさせていただきます。--らんで 2008年2月15日 (金) 14:50 (UTC)[返信]
横槍失礼します。マラスおよびジョーンズの名を明記する事に、異を唱えるわけではありませんが(正直言ってどちらでも記事の内容に大差ない)、記載する事にそこまで強くこだわる理由が見えません。天体観測の分野で業績がある人物というのは分かりましたが(ちなみに自分はこの場で初めて知りました)。権威付け、彼らに対する強い「思い入れ」と、単なる「意地」でしょうか?
上の方の記述を見ると、彼らについてのそれなりの情報、資料を集められたようなので、新しい記事を作っても良い頃かと思います。それほど彼らにこだわりを感じているなら、ここで素性について語るより建設的だと思いますよ。「そのくらい常識でしょ」という態度だけは示されませんように。--75.43.219.186 2008年2月15日 (金) 06:34 (UTC)[返信]
単にM41やその他の天体についての記事の内容を充実させたいと思っているだけです。天体の各観測者の記述を削除するのは、他の天体の記述にも多大な影響が及ぶから、削除には反対しているのです。印象だけの記述でも前の方にあるように、具体的に何らかの発見があるかも知れません。仮に新しい項目を作っても各天体の記述に、記載されていなければ意味がないと思います。また、他の人も行っていますが、印象による決めつけは冷静な論議には不要だと思いますので、止めて欲しいと思います。「常識的」という言葉にひっかかるのなら「総合的」と修正しましょう。--らんで 2008年2月15日 (金) 14:50 (UTC)[返信]