ノート:Bloodthirsty butchers

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

「代表作に『タイムマシーンは来ない』(CHARA)」の意味が取れません。公式サイトをちょっと見た限り裏付けができなかったため、コメントアウトしました。事実であれば加筆をお願いします。2005年1月9日 (日) 15:12 (UTC)

項目名をBloodthirsty butchersから現在のものに変更したのは何か理由があるのでしょうか。以前のものの方が一般的な名称かと思われますが…。--STL 2006年3月11日 (土) 14:06 (UTC)[返信]

出典の明記をお願いします[編集]

「とも言われている」では事典の本文として意味がありません。誰が言っているのかを明記すべきです。初版が早い時期に作成されているので加筆は容易でしょう(それだけ知名度の高いバンドなのでしょうから)。一定期間待っても明記がなければ問題の記述はすべて除去します。--Lonicera 2008年3月20日 (木) 17:51 (UTC)[返信]

>> STL氏[編集]

項目名を変更したのは私ではありませんが、このバンドは基本的に全て小文字で"bloodthirsty butchers"と表示する事に基づいての判断だと思います。 --Pirao 2008年3月28日 (金) 14:49 (UTC)[返信]

出典について一部補足[編集]

「『サンカク』という曲は自分たち三人が互いに角を持ちながらバランスを取っていることから名づけられた」 → 「サンカク」発表当時の雑誌インタビューでメンバー本人が語っていました。 --Pirao 2008年3月28日 (金) 15:00 (UTC)[返信]

手持ちのDoll(1999/3)のインタビューでは「イビツな"△"(吉村)」「作品の出来が△なのかと思った、最初(射守矢)」「完璧な正三角形には絶対にしたくない。絶対にならない。きちんと収まるようなものではないんです(吉村)」などの説明をしています。98年12月26日付インタビューアー遠藤妙子。1999年は1年中△だったんで、他で違うことを言ってた可能性はあると思いますが、特定できればお願いします。--58.3.149.202 2008年4月8日 (火) 18:02 (UTC)[返信]

西海岸ツアーについての出典[編集]

「西村茂樹/シャイニー・ゴースト・西村茂樹の90年代」(いぬん堂)のライナーにツアーをアレンジした西村氏が経緯を書いています。このライナーでの西村氏のブッチャーズ評を参考資料として引用します。「音楽による音楽の破壊/解体を指標とするCOPASS GRINDERZ、そしてどこまでも繊細な爆音を無限大に紡ぎ出すBLOODTHIRSTY BUTCHERS。1992年の彼らとの邂逅は、衝撃的な原体験として今でも俺の中に在る。当時、お節介を承知の上で、彼らの存在を広く世に知らしめたいと思った。彼らと組めば世界を変えることも可能だと、本気でそう思った。」 --58.3.149.202 2008年4月7日 (月) 13:15 (UTC)[返信]

「日本における所謂エモーショナル・ハードコアの先駆け的バンド」[編集]

この表現自体はWikipediaの中でしか見たことがありません。エモーショナル・ハードコアが一般の音楽誌等で紹介されるようになった時期(1999~2000)、この「ジャンル」がフガジなどディスコード系ハードコアに遡ることが確認されたことで、ブッチャーズが80年代からこれに注目していたため札幌のパンクショップでは常識になっていた(「日本のDC札幌」)、というようなことが(eastern youthなどの)さまざまな雑誌インタビューで書かれ、その後の交流も合わせ、たとえばシンコーミュージックムック『ラウド・ロックCDガイド DISC GEAR2000』などエモの紹介記事が決まってブッチャーズを大きく取り上げた、というような経緯であったと思いますが、このことをそのように表現したと思われます。札幌出身のバンドとその証言はシンコーミュージックムック『爆音侍激情無宿編』(2001)が詳しいです。当時から関わりのあった中込智子氏によるブッチャーズの長いインタビューとディスコグラフィーもありますが、吉村氏自身は「北海道のバンドで一区切りにされたらやってきた意味がない」と述べています。

このほか、新宿ロフトのフリーペーパー『ルーフトップ』にはしばしば90年代の東京インディーシーンが話題になったインタビューが掲載されています。これらを読んだ限りでは、単に「エモ」の先駆けというよりは、原爆オナニーズのような少数の例外を除きUKパンク・ハードコアに情報が偏っていた80年代パンクシーンから圧倒的にUSハードコア(~オルタナ)へ関心が向いた90年代への転換期において、大きな影響力をもったバンドの一つというべきではないかと私は考えます。--58.3.149.202 2008年4月7日 (月) 13:55 (UTC)[返信]