ノート:霊法会

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あなたは大乗仏教と小乗仏教の違いを理解されておられないようですね。 是非その違いをウィキペディアで勉強してください。

本化とは日蓮宗で、久遠実成の本地仏が教化のために人となり世に出たという意味です。 だから大門恩師は久遠実成佛だという解釈でいいですよ。

釈尊しかり、もろもろの菩薩にも生前の名前はあります。 菩薩は役目の役職名と解釈したほうが無難でしょう。 釈尊の眷属は釈尊のいらっしゃった時代の方々と判断されたほうが賢明です。

また、大門恩師が久遠実成佛だと釈尊より上になり仏教とよべないなどと、あなたが変な方向に意見が走ってしまうのかははなはだ疑問が沸きます。

あなたのなかで久遠の阿弥陀の解釈はどうつけているのですか? 真言密教の大日如来も佛ですよね。こちらの方も解釈をお願いします。


啓示の判断で、仏舎利塔は仏舎利塔として許可が出ているのだからなにも問題ないでしょう。

霊法会が大門恩師の遺骨を仏舎利とよんでいるのなら、霊法会の本尊は釈尊と解釈するより、大門恩師と解釈するほうが整合性はありますよ。

そして仏舎利塔の記述は、すでに沿革に客観的に書かれていることです。 ウィキペディアは百科事典ですから、客観的な文章が書けないのなら、何も書く必要は無いと思いますね。

主観的な個人の見解を教義欄に書くのがジャーナリズムなどと仰るなら、ジャーナリストが怒りますよ。

もうすこし中立性の心と謙虚さを持ち合わせ、私情の出ない文章を書けるようになってくださいね。



回答です


だれだれから「聞いた」というだけでは、第三者にとって根拠ある客観的情報に成り得ません。 ジャーナリズムにおいては、客観的論拠は基本中の基本です。

情報の根拠を客観的に明示するためには、ここでは、霊法会についての教義について言うならば、霊法会の信者が使用している書物は、霊法会の信仰の実態をありのままに映し出す絶対的情報源になります

私は、霊法会に所属していたので、"朝夕のおつとめ"や、霊法会の書物を、若干なりとも所持しています。 これを客観的情報源としています。 また、「恩師とその弟子達 十年の歩み 本部 天羽正治 別録 青年部講和録 霊法会の歴史」(非売品)という書物のコピーを所持しています。


霊法会の信者が使用する「南無妙法蓮華経 朝夕のおつとめ」の中には:

南無東方善徳佛 三世の諸仏の守護したもう所なり。衆魔郡道得入することある無し。一切の邪見生死に壊敗せられず。 南無妙法蓮華経 南無久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊 ~ etc


つまり、あなたのいう「久遠実成佛」というのは間違いないですが、具体的には、「久遠実成の釈迦牟尼佛」ということが判ります。 もし、本尊を故吉岡元冶郎氏とするならば、"朝夕のおつとめ"の中においては、「~南無大門恩師~」というような文言になるはずです。 強いて言うなら、日蓮さんが登場するくらいでしょうか。

「本化大門薬上大菩薩というのは大門恩師の裏の役目の役職名で」とのことですが、つまりは、薬上菩薩は釈迦如来の眷属でありますから、もちろん釈迦如来に仕える存在ということになります。

このことから考察すると、以下の疑問が出ます。

自らを仏教教団と自称し、かつ釈迦佛の教えのひとつである法華経を所拠の経典として、さらに、「~南無久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊~」と礼拝するのに、本尊を故吉岡元冶郎氏としているのはなぜ? (本尊は、その信仰の中で最も大切かつ中心の存在です) また、「~南無久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊~」と礼拝するのに、故吉岡元冶郎氏の遺骨を仏舎利と呼ぶことは、教義上、どうみても整合性が取れません。

仏教においては、釈迦佛の遺骨のみを仏舎利と呼びます。 これには議論の余地がありません。

それでも、あなたのいうところの「霊法会は啓示により判断を仰ぐので、仏舎利と呼ばれているのなら仏舎利で問題ないのでしょう」ということで、故吉岡元冶郎氏の遺骨を仏舎利と呼称するなら、故吉岡元冶郎氏が釈迦佛より上の存在ということになり、仏教と呼べません。 しかも、釈迦如来の眷属である薬上菩薩が、釈迦佛より上の存在ということになってしまっています。

この点について、霊法会本部に質問したところ、「仏は沢山いるから、釈迦以外のでも仏舎利と呼んで良い」という回答でした。 さらに、上記にに述べた様に質問したこところ、電話をガチャ切りされましした。 誠実とは言い難い対応でした。


口頭では何とでも言えます。 しかし、書物になっている内容については、否定できないはずです。 だからこそ、霊法会の信者が使用している書物を情報源とするのです。

口頭でのみ説明して書物にしない事実があるのならば、それは「矛盾した教義が存在する」という証拠を残さないためのひとつの手段となりえます。

私は、「~教義的に矛盾しているが、詳細な説明はなされていない」という風に客観的結論を書きました。 批判的文言は皆無なはずです。

そういった客観的情報を削除する理由を要求します。

また、上記のように、私が抱く疑問に対して然るべき回答を求めます。 なお、教団側に質問しても、客観的回答は得られません。 投稿者であるあなた自身が自ら客観的に勉強して、客観的回答を明示してください。


~以上~

fumisha 2010.05.26


霊法会は主観的にみて本門派でしょう、とすると本尊は久遠実成佛でしょうね。

私は本化大門薬上大菩薩というのは大門恩師の裏の役目の役職名で、本地は久遠実成佛、と発言者の役目の方から聞いた。

それゆえに霊法会の本尊は大門恩師でいいと思います。

霊法会は啓示により判断を仰ぐので、仏舎利と呼ばれているのなら仏舎利で問題ないのでしょう。

本尊は垂迹佛の釈尊でも久遠実成佛の釈尊でもないと思います。

私の推論はこれで終わります。