ノート:雍正帝

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時系列に鑑みて矛盾を含む可能性の高い説明。[編集]

> 雍正6年(1728年)に、呂留良の『時文評選』「華夷の弁」を読破してそのそれに感化された曾静(中国語版)という学者が、上記にある雍正帝の著作である『大義覚迷録』を批判し、四川総督岳鍾琪を唆して漢民族の復興をはかったために、岳鍾琪は彼を捕らえて雍正帝の目前に曳きだした。雍正帝は曾静の言い分を聴いて、その処置を考えていた。しかし曾静は臆することなく、毅然として「満洲族は大したことなく、漢民族がいかにすぐれているか」とする持論を唱えたため、雍正帝は特例として彼を赦した

大義覚迷録は1730年に曾静を教化する過程で執筆された書籍であるとされます。上に引用した段落は修正が必要だと考えます。--某人物会話2023年11月2日 (木) 01:16 (UTC)[返信]