ノート:間人皇女

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「天皇が皇后である間人皇女に宛てた歌が『万葉集』に採録されている」とありますが、孝徳天皇歌は万葉集には1例もありません。『万葉集』巻4・484に「難波天皇」とあり、これを孝徳のこととする説もありますが、これはその「妹」が呼んだ歌で、天皇御製ではありません。おそらく、『日本書紀』の歌謡、「金木着け 吾が飼ふ駒は 引出せず 吾が飼ふ駒を 人見つらむか」との間違いではないでしょうか。孝徳の御製は、上代文学にこの1例しかないと思われます。以上の点を踏まえまして、このあたりの文章を訂正いたします。どうかご寛恕ください。--Zerozeros 2008年2月18日 (月) 08:55 (UTC)[返信]

「繫於金木 吾飼駒當無出兮 吾之駒至今何以為所獲」について[編集]

日本書紀歌謡、「金木着け 吾が飼ふ駒は 引出せず 吾が飼ふ駒を 人見つらむか」の箇所に

「繫於金木 吾飼駒當無出兮 吾之駒至今何以為所獲」

との記載がありますが、このような文は日本書紀にありません。これは一体なんでしょうか。

当該歌謡は、日本書紀には一字一音で、

「舸娜紀都該 阿我柯賦古磨播 比枳涅世儒 阿我柯賦古磨乎 比騰瀰都羅武箇」

と表記されています。

(小学館 新日本古典文学全集4 日本書紀(3) p.194-196)--240B:10:2500:C200:20C:29FF:FE1A:F9DD 2023年7月21日 (金) 09:21 (UTC)[返信]