ノート:長瀞城

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

 私が編集した5記事については、最上義光歴史館など、れっきとした資料に基ずいて編集しており、問題ないと存じております。そもそも、資料がとぼしいのは地域史(それも地方ですら注目されて来なかった部分)ですから、当然のことでしょう。--東拓人 2008年1月17日 (木) 09:57 (UTC)[返信]

ならばそれを検証可能な様に出典を提示し証明する事です。さらに、問題ないというのは貴殿の主観であってWikipediaは貴殿の主観は求めていません。求めているのは中立的で検証可能な百科事典としての記事です。「資料に基づいて」とありますが著作権が気になります。記事の文体から転載を心配しておりますが現状の私では資料の確認のしようがありません。もう一点。資料に難があるのであれば検証可能性を満たせず他の方が記事を執筆して発展させていく事は難しく、百科事典的な記事に発展する見込みがないとして削除されかねません。また利用者‐会話:東海林 俊夫において私が提示した5記事はお父様本人が執筆されたと発言されていますが、このノートでの発言を見る限り信用できませんね。誤字・脱字・初版でいきなり自分が書いた記事は問題ないと言い切る姿勢など。--FOXi 2008年1月17日 (木) 10:08 (UTC)[返信]