ノート:鍋島弘蔵

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没年情報追加願[編集]

人物記事としての体裁は整えてありますが、没年に関する情報のみ見出せなかったため該当する資料に心当たりのある方がおられましたら追加をお願いします。 --彩虹舞台会話2023年4月7日 (金) 06:05 (UTC)[返信]

富山新聞編集委員の宮本南吉さんという方が2022年4月12日付の紙面で『ポイント』に触れ、三浦綾子さんら著名人が寄稿していたとか、鍋島氏も鍋島大守の名前でコラムを書いていたとか述べた後、1973年3月号で「輝く孝道」を取り上げた回に言及しています。『ポイント』創刊から1970年代の号まで見られる場所がどこかにあって、宮本さんはそれを見て書いているのではないでしょうか。『高志人』第35巻4月号「太稚庵はだか日記」の3月14日の項に「鍋島弘蔵の「ポイント」をひらく」とあり、1970年時点でも『ポイント』は鍋島氏が出している、と言ってよい状況だったのだと思います。『ポイント』のまとまった号を見ることができる場所があるのなら、そこに行って後の方の号を見れば、状況がわかるのではないかと思います。--西村崇会話2023年4月7日 (金) 14:39 (UTC)[返信]