ノート:金森長近

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長近の妻、久昌院について[編集]

  • 妻の久昌院について、「徳川家康の叔母」であるという記述がありますが、Wikipediaにページのある久昌院は慶長9年(1604年)生まれ、その子とされる金森長光は慶長10年(1605年)生まれであり、1歳の時の子供になってしまうため、当該久昌院と長近の妻久昌院は同名異人と思われますが、いかがでしょうか?出典の根拠とされる文献もミスということでしょうか?--T-mercury会話2019年7月19日 (金) 11:52 (UTC)[返信]
同じ院号を持つ別人でしょう。金森長近夫人の久昌院は戒名「久昌院殿春渓宗梅大姉」で寛永2年(1625年)没([1])、徳川頼房夫人の久昌院は戒名「久昌院靖定大姉」で寛文元年(1661年)没です。--松茸会話2019年7月19日 (金) 12:16 (UTC)[返信]