ノート:護良親王

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読みについて[編集]

NHK大河がきっかけで「もりよし」の読みが多くなった・・のでしょうか?単に大河便乗本がたくさん出ただけでは。ここのアヴァン・タイトルの項によれば、大河放送以前から「もりよし」の使用傾向はあり、大河もそれに従ったようです。大河がきっかけで護良親王の一般知名度は上がったでしょうし、大河が「きっかけ」でも不正確ではないと思いますが。--でここ 2005年10月25日 (火) 15:48 (UTC)[返信]

皇子・皇女[編集]

護良親王の皇子は陸良親王と興良親王が知られているが、両者が同一人物であるという説もあり、今後の研究に待つ所が多いようです。資料を集めて考察しましょう。

桜雲記には「建武元年(1334年)3月護良子陸良誕生。母源大納言師茂女」とあります。
神皇記には「萬寿王を元服せしめ・・・興良親王と称せしむ。・・・陸良親王と改称せしめ・・・」とあり、同一人物に記しています。神皇記では、嘉暦元年(1326年)生まれとなります。--超世志 2008年11月15日 (土) 13:27 (UTC)[返信]