ノート:虎御前

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虎女の没年について[編集]

一昨年(平成16年)、虎女が生まれたとされる神奈川県平塚市で「虎女と曽我物語」というテーマでふるさと歴史シンポジュームが開かれ、そのなかで最近の研究で虎女は伝えられる年齢より長く生きたことが判ってきたとし、資料の年譜に嘉禎4年(嘉禎は4年の11月に暦仁に改元)に没したとあることから63才物故説をとり、旧説を併記しました。(当初64才としたのは計算違い)(Shigenaga.S)

虎御前の墓について[編集]

上杉謙信の生母の名前も虎御前であったことには気がつきませんでした。先のシンポジュームで民俗学者の新谷尚紀(しんたにたかのり)氏のお話にこういう話がありました「曽我兄弟の墓というものが北は福島から南は鹿児島にまである」事について民俗学者の柳田國男は「一体曽我兄弟はいくつ体をもっていたのか、こんなうそばかりついて」と言い、「でもこれにはわけがあるのだろう」と考えたとあります。曽我兄弟同様虎御前の墓や伝説も日本中の各所にあります。新谷氏の生まれ故郷の広島にも曽我兄弟と虎御前を偲び旧暦5月28日に曽我兄弟と虎御前の墓の前でお祭りを行うところがあるようです。
曽我物語りは女語りとして口伝で中世の日本に広がりました、それを広めたのは巫女や瞽女などの女性たちで彼女たちは同性としての虎女になりきって話を盛り上げたのでしょう。かくして日本各地に虎御前が生まれたのではないかという推測です。虎御前の死から300年後の越後でも瞽女達によって曽我物語りはそこそこ知られていた物語で、神秘的な悲劇の女性として利用する価値のある名前だったのかもしれません。しかしこれも推測で虎やとらなどと言う名前は女性の名前として普通に良くあったのかもしれません。(Shigenaga.S)

資料用として、柳田大先生の『妹の力』参照です。柳田大先生によると、トラほかTR系の名(トホル、トラン、タラ ツル等)は「巫女の名」だったらしいです。で、そういう巫女はんは「トラ石」という石のあるところで、修法をやって、その一環でその石による占いをやってたらしいです。で、「柳田の『妹の力』によると」語りでは、トラさんは視覚障害系巫女だったらしいです(多分私の読解力が無いので、そういう記述が見えません)。あと宮田登先生の『ヒメの民俗学』も参照です。「トラと呼ばれた椿姫(ラ・トラヴィアータ!)は、一介の娼婦になってしまったのである」しか覚えてませんが、江戸から明治にかけて、そういう「巫女はんの名前であるトラ等」が忘れられ、「なんか祟るっぽい名」として、一般に使われるようになったので、明治期のツルさんとかトラさんとかトホルさんとか(女性名としての)は大変だったらしい(変なものに祟られる伝承がいっぱい)です。役に立たなくてすいません--これれ