ノート:藤原得子

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

史実と逆なのでは?(「諸大夫の女」云々のくだり)[編集]

>頼長は美福門院のことを「諸大夫の女」と目して蔑んでいた。

一瞬、気付かなかったけれど何か引っかかるものを感じたので資料を漁った所、頼長が「諸大夫の女」と言ったのではなく、兄の忠通が美福門院は天皇の母なのに「諸大夫の女」だからと蔑視して拝礼を行わなかった事を非難している(『台記』康治3年元旦分、ちなみに頼長は拝礼している)のであって、これでは史実とあべこべになっているのですが、何か他に根拠があるのですか?--水野白楓 2006年3月14日 (火) 12:33 (UTC)[返信]