ノート:蓮昌寺

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改名提案[編集]

蓮昌寺となっている本記事について蓮昌寺 (小田原市)に改名。跡地に蓮昌寺 (曖昧さ回避)を移動して平等な曖昧さ回避化することを提案します。

まず、小田原にこの寺院があるのは確認出来るのですが、書かれている内容については確認できません。と、言いますが内容についてはかなり疑念を持っています。歴史節の初っ端に「小田原城主北条氏直の家臣・二階堂資朝により開創」とあるのですが、これは蓮昌寺 (さいたま市)の歴史ではないでしょうか? さいたま市浦和区駒場自治会によるさいたま市の寺の縁起によれば「小田原城落城後に旧領であった文蔵村(現・さいたま市南区)に落ち延びた二階堂資朝が慶長17年(1612年)に仏門に入り、池上本門寺の実相庵日を開山としてこの寺を開いた」ということで、小田原の寺の記事に書かれた歴史は事実誤認である可能性が高いものと推測します。よって小田原の寺を「蓮昌寺」として優先しておく理由はありません。

このノートについては移動しません。記事の改名後、小田原の寺については確認できない歴史節などを除去した上で「正確性」テンプレートを貼る予定ですが、それ以前に出典に基づく改訂が可能ということであればどんどんやっていただきたく思います。--KAMUI会話2018年7月27日 (金) 10:53 (UTC)[返信]

調査メモ[編集]

現在の記事内容についてチェックしてみる。

  • 旧本山は妙本寺 - 不明。
  • 小田原七福神めぐりの「福禄寿」 - 虚偽。福禄寿は小田原市南町にある大蓮寺
  • 本尊は十界御本尊日蓮大菩薩(以下略) - 虚偽。それらは全部さいたま市の寺
  • 二階堂資朝により開創 - 虚偽の可能性高。
  • 三世日観の代に(以下略) - 虚偽。それは全部さいたま市の寺(上のリンク参照)。
  • 開山は実相院日清 - 虚偽の可能性高。
  • 鎌倉の妙本寺末 - 不明。
  • 天保11年に本堂再建 - 虚偽。それは全部さいたま市の寺(上のリンク参照)。
  • 関東大震災で(以下略) - 不明。
  • 昭和43年に本堂修復 - 虚偽。それは全部さいたま市の寺(上のリンク参照)。
  • 手斧削りの柱 - 虚偽。それは全部さいたま市の寺(上のリンク参照)。

・・・履歴を見るとこれらの大半は初版から含まれており、初版から内容が違う寺のものになってますね。定義文とテンプレート(要・一部記述除去)、周辺しか残らないかも(汗)--KAMUI会話2018年7月27日 (金) 13:04 (UTC)[返信]

お墓関係でjawpの記事を引用してるサイトを確認し、「まるっきり違う内容」をこのまま放置しておくのはマズいと判断して、上記の虚偽・真偽不明の記述について一旦全除去しました。サブスタブテンプレートも追加しています。--KAMUI会話2018年7月27日 (金) 15:09 (UTC)[返信]