ノート:若林統昌

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初版転載?[編集]

若林統昌(わかばやし むねまさ) 生没年:1568(永禄11)年~1637(寛永14)年 仕官先:豊後大友家→松平定勝(一時期のみ) 別名:八郎・甚内・甚内允統興・甚右衛門・勘兵衛 親族> 父:若林鎮興 母:浦上宗鉄の娘  天正14(1586)年、島津氏の北上・豊後侵入に際して海辺郡丸尾砦にて防戦する。 文禄2(1593)年には、朝鮮において主君・大友義統が「明軍の来襲を前に退去した」とされて、 秀吉から国除(国を除く。すなわち国の領主の任をとかれる事。クビね)され、周防山口に預かりの身となったときにはこれに従う。 のち一時、松平定勝(伊勢桑名11万石の領主)に仕えて2百石を領する。 老後は肥前長崎に居住し、寛永14(1637)年、同地にて死去。 [1]と内容がほぼ同一なんですが… --180.5.192.134 2010年4月14日 (水) 03:05 (UTC)[返信]

結構前に読んだ本だったので、ちょっと出典が何だったか忘れちゃったんですが、戦国人名事典的なものから引用したもので、リンク先のサイトさんは初見です。たぶんソースが同じなのだと思います。もし、出典先の本から丸写しのような形になっているようで著作権にひっかかるような形であれば削除するか、変更致します。--ポテンシャル0 2010年4月14日 (水) 13:07 (UTC)[返信]