ノート:苗木勘太郎室

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改名提案[編集]

苗木勘太郎について一応、遠山直廉であろうということになってますが、異説(友勝、友忠)もあるため、別に直廉説を否定するわけではありませんが、系図にあるまま「苗木勘太郎室」というページ名にした方が、適切だと思い改名を提案しました。また「室」と「夫人」が混在しているので、(全部改名する必要はないですが)室の方に合わせた方がいいとも思います。--Quark Logo会話2015年9月30日 (水) 09:25 (UTC)[返信]

質問です。苗木勘太郎が遠山直廉かどうかについて異説があるのはわかりますが、本記事の人物が遠山直廉の妻であることに異論はないのでは? --アルビレオ会話2015年9月30日 (水) 14:55 (UTC)[返信]
いえ、『寛政重修諸家譜』などの系図には織田信秀の娘の中に苗木勘太郎の妻とされる人がいるのです。で、苗木城の城主が苗木姓で呼ばれるわけですが、その城主が直廉→友勝→友忠と1573年前後の1~2年と短い期間にでコロコロ変わったので、みんな間違えてしまって、それぞれの人物について妻は信長の姉妹だと書いてある。だから遠山直廉の妻も苗木勘太郎室、遠山友勝の妻も苗木勘太郎室、遠山友忠の妻も苗木勘太郎室となってる。信秀の娘は15人ぐらいいますが、該当する人物は一人で、2つは間違いの可能性がある。城と一緒に後家も継ぐ可能性もないわけではないし、系図に書いてない娘がいないとは言い切れないわけですが、ウィキペディアはもちろん出典主義ですから空想や想像は書けませんし、出典に準拠しつつ多説併記ですから、異説も書く必要がある。いろいろ他のことを符号させていくと、直廉でだいたい正しいだろうというのが主流の考えですが、異説を書く上で、直廉夫人よりも『寛政重修諸家譜』に書いてある苗木勘太郎室の方がよかろうということです。女性の名前が名前がわかればそれでいいのですが不明ですから、”夫人”という呼び方の性質上、好ましくない。一番、普遍性があり、(現代の)書籍等でも登場している呼び方「苗木勘太郎室」の方が良いというのが私の主張です。--Quark Logo会話2015年9月30日 (水) 18:00 (UTC)[返信]
あと、当記事も改名後に加筆します。改名提案中に内容を変えると怒られたこと(腕ずく解決と見なされる恐れがある)があるので、控えております。--Quark Logo会話2015年9月30日 (水) 18:02 (UTC)[返信]
記事の対象は龍勝院の母親ですよね。龍勝院が遠山直廉とその妻である信長の妹との娘であることに異論があるのですか? 龍勝院が遠山直廉以外の娘だとの異論があるのならば現記事名を変えた方が良いのは判るのですが、そういう話なのでしょうか? --アルビレオ会話2015年10月1日 (木) 00:51 (UTC)[返信]
厳密には、龍勝院は苗木氏の女を信長が養女したみたいな書き方がされていて、苗木勘太郎と織田信秀の娘の某との間に一女あるからこれだろうとされているだけで、遠山直廉の子と断定できる一次史料はありません。苗木勘太郎も遠山某であり、苗木勘太郎を遠山直廉と類推したのは江戸時代以後の後世の史家です。遠山氏に関しては異説が多いし、人名の取り違えのようなものがかなりあるので、確実ではないことを確実のように書くのはよろしくないという話をしているです。確実なのはどこまでかというと、苗木勘太郎の妻ということです。すでに書きましたが、異論は苗木勘太郎は遠山友勝だとか、いや遠山友忠だとかです。すると当然、龍勝院の父も変わってくるわけで、それを異説といわずしてなんと言うでしょうか。女子については特に記述がないので、不明な点が多いのは普通です。異論はないどころか、史料は不明な点だらけです。史料を読み解けば、龍勝院の出自自体もかなりあやふやです。--Quark Logo会話2015年10月1日 (木) 06:11 (UTC)[返信]

特に異論なければそろそろ改名しますので、よろしくお願いします。--Quark Logo会話2015年10月5日 (月) 07:33 (UTC)[返信]

改名しました。--Quark Logo会話2015年10月8日 (木) 18:25 (UTC)[返信]