ノート:芥川長則

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改名提案[編集]

以下二点の改名を提案します。

三好之長の三男と四男の2人ですが、長江正一『三好長慶』(新装版33頁)によると、芥川長光・三好長則とする史料と芥川長則・三好長光とする史料があり、長江は『細川両家記』にある前者の説を採用しています。今谷明『戦国三好一族』も同じ説を採っており、現在の記事名はこれらに基づいていると思われます。また、これらの説では三好長逸は三好長則の子とされてきました。

これに対し天野忠幸は2010年初出の「三好一族の人名比定について」(『増補版 戦国期三好政権の研究』清文堂出版、2015年)の中で、京都大学総合博物館所蔵の『三好長光画像模本』[1]に描かれた「三好長光」が、三好氏の家紋の付いた肩衣を着た姿で描かれ、その人物の子として三好長逸の賛が記されていることから、三好之長の三男(長逸の父)を三好長光、四男を芥川長則としています。これ以降、天野の著作では2022年12月の「三好之長・元長」(天野編『戦国武将列伝7 畿内編下』戎光祥出版)に至るまでこの説で書かれています。

天野以外では、金松誠『松永久秀』(戎光祥出版、2017年)50頁の三好氏略系図に三好長光・芥川長則とする説が採用され、芥川長則に触れた馬部隆弘「細川澄元陣営の再編と上洛戦」(『戦国期細川権力の研究』吉川弘文館、2018年)や嶋中佳輝「三好長慶入城前の芥川城と摂津上郡支配」(『十六世紀史論叢』第18号、2023年)でもこの説は踏襲されており、ほぼこちらの説が受け入れられた状況といえるのではないかと思います。(改名後、芥川長則の記事に長則の継承した芥川氏について若干加筆予定です。)

以上により改名を提案します。--YasuminB会話2023年10月15日 (日) 17:28 (UTC)[返信]

それぞれの改名先を芥川長光→三好長光(三好長則→芥川長則)としていない理由としては、現在の両ページの内容がほぼ2人に共通の事柄のみであること、三好長則→三好長光、芥川長光→芥川長則のリダイレクト関係があった方が都合がいいと思われること(三好長逸のページの父「三好長則」から改名後の「三好長光」へのリダイレクトなど)があります。--YasuminB会話2023年10月15日 (日) 18:01 (UTC)[返信]