ノート:自傷症

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査読依頼を出しました。61.44.80.252 2006年4月12日 (水) 18:47 (UTC)[返信]

名称に関して[編集]

リストカットなど自傷行為の統合項目名として最もふさわしいのがこの名称だと思います。61.44.83.119 2006年3月18日 (土) 18:23 (UTC)[返信]

冒頭の「心理療法士がよく使う診断名」という表現に違和感を感じます。そもそも「診断」は心理士の仕事ではありません。また「自傷」、「自傷行為」、「自傷行動」といった言い方は会話でも活字でも使われますが、「自傷症」という言い方はそれほど一般的ではありません。Diogenesis 2006年10月30日 (月) 09:31 (UTC)[返信]

自傷行為のほうに分割という形で移動しました。リストカットの項目も一応作っておきました。--The Side 2006年12月5日 (火) 19:13 (UTC)[返信]

wrist cutという名称について[編集]

リストカットは和製英語ですが必ずしも英語としては間違っていません。ノート:リストカットから転用しておきます。61.44.80.252 2006年4月12日 (水) 16:35 (UTC)[返信]

日本での男性の自傷行為の増加について[編集]

「自傷行為を行うのは世界的に見れば女性が多いはずであるが、何故か最近の日本では男性も増加傾向にあるとも言われる。この傾向に関してはよく分かっていないが、日本ではアグリッピーナコンプレックスの影響が強いためであるとも考えられる」という表現が現在コメントアウトされていますがコメントアウトする必要があるのでしょうか。日本ではアグリッピーナコンプレックスの他にいじめの影響もあるとは思われますが、実際に日本はアメリカなどに比べると男性のリストカッターが多いのは事実ですし、原因がはっきりしないからと言ってその事実を伏せてコメントアウトにするのはどうかと思われます。61.44.80.252 2006年4月12日 (水) 16:45 (UTC)[返信]

虐待との関連性に関して[編集]

「正反対に親の怠慢・愛情不足が引き金になるケースも多い」という表現が現在コメントアウトされていますが、これは虐待の一部としてはっきりと表現されるべきではないでしょうか。自傷行為をする人の家庭には他にも、親に経済的ストレスや失業などの問題が認められる事も多くあり、身体的・性的虐待との関連性のみに偏った表記は為されるべきではないと思われます。虐待などとの関連性に関しては鹿児島大の調査があるのですが、信用出来るかどうかは不明です。その調査では九州の5大学に通う1~2年生1626人を対象に調査を行ったそうで、1592人(男性831人、女性761人)から回答を得、自傷行為の経験者は120人(7.5%)で「家族からの放任や罵倒などを経験した」と答えた人が自傷行為をする危険性は、そうでない人の8.7倍、「第三者からの性的暴力を受けた」が5.8倍、「教師や友人からの無視を経験した」が5.5倍、「両親からかわいがられた経験がない」が4.2倍だそうなのですが、大学まで進学できない自傷行為者も多いと推測されますので、この調査が完全であるとは思えません。性的虐待を受けた人間は中卒率が圧倒的に多いと言われていますし、精神的に追い詰められた人間は調査にすらあがらない事が多いので、現時点ではあらゆるパターンを類記するのが適切ではないでしょうか。61.44.80.252 2006年4月12日 (水) 17:24 (UTC)[返信]

自傷症に関する文章を読む際の注意について[編集]

現在本文で自傷症の文章自体が自傷症を引き起こしかねないと言う記述があり、注意が為されていますが、これはやはり必要でしょうか。実際この文章を読んで共依存を起こす可能性もあるとは思うのですが、自傷行為に関する問題は既に一般的なものであり、知識武装する事も必要であり、これに関する注意は自傷症患者の心理的問題に関する認知度を下げてしまう結果になる可能性があるとも思われますので、ご意見をお願いします。61.44.80.252 2006年4月13日 (木) 19:53 (UTC)[返信]

  • 私は自傷経験者なのですが、この項を読んでいてかなり落ち込んだ気分になりました。恐らくこの記事から同じ印象を受ける人は多いのではないかと考えますが、自分の意思でこの項に辿り着いた者が、注意書きを読んで引き返す事はまず無いかと思います。しかし、実効性という意味では書く意味が無いかもしれませんが、エクスキューズとして残しておいても良いかもしれません。--210.173.225.57 2006年4月22日 (土) 16:42 (UTC)[返信]

自傷行為及びリストカッターに対する表現に関して[編集]

自傷行為をする人間は社会的に差別される事が多いです。しかしながら、自傷行為というのは自傷行為をする人間にとっての一種の自己防衛手段なので、リストカッターに対してもう少し偏見をなくするような表現があってよいのではないでしょうか。もちろん自傷行為は社会的に許容されないことが多いため、それに変わるものを考えるべきだとは思いますが、軽蔑視するような表現はなるべく利用するべきではないと思います。「自傷行為に対する偏見」の末尾にも記事をコメントアウトしておきました。61.44.80.252 2006年4月12日 (水) 18:35 (UTC)[返信]

  • 本当に追い詰められてしまっての、仰るような自己防衛手段として自傷行為に走る例が多数を占めるのだとは思いますが、私の周囲においては周りが優しくしてくれるから、構ってくれるからというような「病気のフリをすれば大事にしてもらえる」レベルの発想で自傷行為をしている者も複数知っています。人を心配する心に付け込んだ悪質な行為であり、そのようなケースは糾弾されて然るべきだと考えます。もちろんPOVは避けるべきですが、実際にそういう人達が存在する以上、擁護ばかりではなく批判的文章も少なからず必要ではないでしょうか。切り分けて記述できるとよいのですが…。Hrk 2006年4月22日 (土) 18:33 (UTC)[返信]


「SM的発想」について[編集]

「この場合、罰せられることによる「許し」を乞いているSM的発想とも考えられる。」という表現がありますが、自傷行為をしている人間は痛みを楽しんでいるわけではないので、この表現は適切ではないと思われます。そのため、この記述は削除しておきました。もしこの表現を使いたい場合は「周囲から見るとこの行動はマゾヒスト的な発想に基づくものと見られてしまう事もあるが、実際には本人は痛みを楽しんでいる訳ではないので、この考えは一種の偏見に過ぎない」と「自傷行為の理由」の欄で書くべきでしょう。61.44.80.252 2006年4月12日 (水) 20:35 (UTC)[返信]

「わがまま」という表現について[編集]

「周囲に心配されない、見てもらえないといった見捨てられ感を打破したいがために、わざと人目を引く傷をつけ心配してもらいたい、というわがままな欲求を満たすために行う。」という表現がありますが「わがまま」という表現はどうでしょうか。自傷行為をする者は自分でも理解していないケースが多いため安易にわがままという言葉を持ち出すべきではなく、自己を卑下し下手をすると更なる自傷行為に走る可能性があるため、もっと温和な表現を使うべきではないでしょうか。61.44.80.252 2006年4月13日 (木) 19:55 (UTC)[返信]

(賛成)読んでいて違和感がありました。削除してもよいと考えます。 --Kazov 2006年7月8日 (土) 12:57 (UTC)[返信]

「しらをきる」という表現について[編集]

「どれだけ自分を傷つけていても、精神的には全く傷ついていないため、本人は「自分を傷つける事なんかしてない」としらをきる場合もある。」という表現が本文中にありますが本人にとってはしらをきっているつもりはないのでこの表現は不適切であると思われます。「どれだけ自分を傷つけていても、精神的には全く傷ついていないため、本人は「自分を傷つける事なんかしてない」と言ってしまう場合もある。この言動は周囲からするとしらをきっていると思われることもある」と言うのがより自傷者に対して自然なのではないでしょうか。61.44.80.252 2006年4月12日 (水) 21:36 (UTC)[返信]

(賛成)そう思います。「と言う場合もある」でもよいでしょう。 --Kazov 2006年7月8日 (土) 12:57 (UTC)[返信]

自傷行為は「やっかい」な行為か[編集]

「目的は死に到る目的の自殺のためではなく、ただの孤独感や空虚感を紛らわすための「自己の再確認」や「ストレス解消」といった生きる願望が屈折した形になって現れるやっかいな行為である。」という表現がありますがそれは社会的な見地から見た場合のもので、本人にとって言えばそれは自己の精神を安定させるための有効な手段である上、本人にとっての自己の危険な状態に対する周囲に対する危険信号である場合も多いです。「目的は死に到る目的の自殺のためではなく、孤独感や空虚感を紛らわすための「自己の再確認」や「ストレス解消」といった生きる願望が屈折した形になって現れる行為である。その行為は社会的に理解されがたく、社会的な観点から見るとやっかいなものとみなされてしまうことが多い」という表現が適切なのではないでしょうか。61.44.80.252 2006年4月13日 (木) 10:02 (UTC)[返信]

過小評価されていると思われる表現[編集]

「ただの」という表現は適切か[編集]

「ただの孤独感や空虚感」という表現がありますが、リストカッターにとってその孤独感や空虚感は重大な問題なので「ただの」という表現は適切ではないように思われます。削除すべきではないでしょうか。またリストカットは自己の状態に対する周囲に対する危険信号であることも多いので、「その状態は本人の自らの状態に対する危険信号であることも多いのでそれに関しての理解も必要であろう」といったような表現も付け加えるべきではないでしょうか。61.44.80.252 2006年4月13日 (木) 10:02 (UTC)[返信]