ノート:篠崎スパイ事件

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「中立的な観点」テンプレご指摘内容への対応について[編集]

  • 利用者:RXX-7979Ⅲさんのこの編集[1]について、加筆・修正しました。
  • 「日本側の見解も必要」とコメントをいただきましたが、
    • もともと、邦後文献では篠崎(1981)のインタビュー記録、篠崎(1976)の回想録を参照して執筆しています(日本側の見解です)。回想録の記述は他の文献・情報源と対照すると記述の信ぴょう性に色々と問題があり、他の文献との意見の対立がある個所については記事脚注に記載のとおりです。
    • 邦語の新聞も参照しましたが、裁判の結果を短く伝えているだけで、事件の内容についてはほとんど触れられていません。どのような内容かは追記しましたとおりです。
    • Bridges(1986)の論文は、英外交文書、シンガポールの新聞のほか、篠崎の回想録、日本語の戦後の戦史研の資料なども参照してかかれており、「日本側の見方」もある程度反映して書かれているかと思います。ただ、「コックス事件と直接関係ない」としてあった点については、「小林が釈放された日に篠崎が逮捕されている」と付記しています(独自研究にならない範囲だと考えています)。
  • ほかに利用者:RXX-7979Ⅲさんの編集でよく分からなかった点として、
    • 赤リンクを訂正されていますが、(他の記事の編集でもお見かけしましたが、)これはなぜでしょうか。Wikipedia:赤リンクによれば、Wikipedia:特筆性を充足していれば、赤リンクの作成は推奨されていると思います。
    • 「山川あつ子」の強調解除はどのような意味でしょうか。この記事の中では特筆性があると思いますが、独立立項するほどではないというくらいの項目について強調表示する、という方針で編集したものです。「フランク・ガードナー」も追加しております。
    • カテゴリ「1940年のシンガポール」「太平洋戦争」「諜報工作」を削除され、「日本軍占領下の東南アジア」「1940年の政治」を追加されたのはなぜでしょうか。本事件の発生は1940年9月で、日本軍がシンガポールを占領する1942年2月より大分前のことですし、1940年のシンガポールでの出来事であり、「諜報工作」で間違いない(当人がやったと堂々と述べているので)と思っています。
以上テンプレ解除の可否とあわせて、ご検討よろしくお願いいたします。--宇井木辺出夫会話2016年7月10日 (日) 10:04 (UTC)[返信]
チェック 利用者:RXX-7979Ⅲさんが本文中に付されたコメントに対応し、期間経過しましたので、テンプレを除去します。--宇井木辺出夫会話2016年7月19日 (火) 11:44 (UTC)[返信]

節単位での「単一の出典」テンプレ貼付について[編集]

今の内容を拝読したのですが、「日英間の外交交渉」の節に「ほとんど唯一の出典」のテンプレートが貼ってあるのはいかがなものかと思います。記事自体が単一の出典に基づいていることは、あまり好ましくないと私も思うので、そういうテンプレートを貼られても仕方ないかと思いますが、多くの文献を集めて作成した記事において、ある節が特定の出典に基づくことは、やむを得ないことではないでしょうか。このテンプレートは、節単位で用いるべきではないと思うのですが、いかがでしょうか。--Tam0031会話2016年7月19日 (火) 13:02 (UTC)[返信]

Tam0031さんこんにちは。(別の話題だと思いますので、話題を区分しインデントを戻しました。)お書きいただいたように記事全体としては複数の出典を参照して執筆しましたので、Wikipedia:著作権に関して問題はないと考えております。テンプレ貼付の趣旨は、Wikipedia:中立的な観点#中立性を達成するために読者に注意を呼びかけ加筆を促すためであり、また節単位でのTemplate:単一の出典テンプレが用意されているのもそういう目的だろうと思っています。
最近鉄道関係の記事で、記事の一節の内容が単一の外部サイトを参照していたがために著作権上問題があるとされたりして(その節だけでなく)記事全体が削除されてしまった例がありますが、私はそれは削除すべきではなく、むしろ節単位での「単一の出典」テンプレを貼付すべきだったと考えており、復帰依頼中です。ご興味があればご参照ください(Wikipedia:削除の復帰依頼#日台の鉄道の姉妹提携)。--宇井木辺出夫会話2016年7月27日 (水) 06:16 (UTC)[返信]