ノート:笙野頼子

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J文学のなかに入れるのはまずいのでは? たしか文庫の「母の発達」の帯に「J文学」と書かれて本人激怒したということを読んだ記憶があるのですが。 --ねこぱんだ 2006年1月16日 (月) 23:45 (UTC)[返信]

  • (回答)1990年代末に河出書房新社が日本文学をJ文学とわざわざ言い換え、小説の販売促進運動を起こしました。頼子はその中心作家に位置付けられました。「J文学を代表する小説家」と言うよりも、正確には「J文学の代表格と位置付けられたが、その様な分類を拒絶し強く抵抗した小説家」となります。御存知の通りJ文学は、2000年代以降は完全に死語となりました。--切問而近思 () 2006年1月24日 (火) 14:33 (UTC)[返信]

「おはよう、水晶――おやすみ、水晶」が「エッセイ集」とされていますが、これはどう見ても小説作品だと思います。--123.225.161.138 2009年8月24日 (月) 14:51 (UTC)[返信]

「人物」をはじめとして、記述が本人びいきにすぎます。私が修正した「不遇」の時代というのも、提出した作品自体のレベルに問題はなかったとするものであり、客観的根拠に欠けます。そもそも主張のようなものでありますから、やはり客観的事実以外の記述は修正されたいと思います。--特別:投稿記録/ (UTC)