ノート:私作る人、僕食べる人

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中立性[編集]

利用者:西村崇さんが選考で中立性の問題を指摘されました。それを繰り返すことはしませんが、個人的に気づいた点でも、私作る人、僕食べる人#社会の反応のあたりで、行動を起こす女たちの会の主張に反発した(つまり批判への批判をした)人たちを、一方の当事者の発する情報に依拠して、その考え方が十分進歩的でなかった、間違っていた、とだけ結論づけているように見え、別の論点を押さえられていないように見えます。実際、別の分析をする論者もあるようです。「行動を起こす女たちの会」の主張に対する反発がなぜあったか(なぜ大きかったか)について、江原由美子「受け手の解釈作業とマス・メディアの影響力」では、会の主張に反発した人(のうちの多数)は「広告の目的は商品について知らせることだから、商品をよく伝えているかどうかだけが問題であり、それ以外の読み取り方をするのは不適切である」と暗に考えた、というように分析しています(括弧内は引用でなく、私の解釈で大意をまとめたものです。また、江原氏が広告はそうあるべきだと主張しているというわけでもありません)。是永論『見ること・聞くことのデザイン』(ISBN 9784788515093)の最初のほうや同著者の「メディア表現の批判と社会批判の実践 : ジェンダーの表象をめぐって」でも上記論文が引用され、このCMについての議論があります。このあたりに触れておくとバランスが取れ、読者にとってより理解を深められる記事になるのではないでしょうか。ことさら大きく扱う必要はないかもしれませんが、記事内で一定の位置を占めていい論点ではないかと思います。この一つをとにかく取り入れてほしい、それさえ済めば問題が解決する、という訳ではありませんが、中立性の点で改善の余地があることの証左として述べさせていただきました。 --2001:268:C083:B577:DCA9:F6EC:F4E4:6423 2021年8月28日 (土) 15:17 (UTC)[返信]

もう一つの観点として、本当に当時の大衆がCM反対派と賛成派に二分されていたのか、確認する必要があると思います。私は『行動する女たちが拓いた道』を読み、反対派側の主張に共感を持った状態で当のCMを見ました。しかし最初に感じたのは、役割分担が不当だ、ということではなく「ラーメンがあまり美味しそうに見えない」ということでした。実際のところ、大衆の多くは論争に関心がなく、単に商品に魅力を感じなかったから買わなかった、単にそれだけではないか、と思えるのです。この記事は、あたかもCMをめぐって世間が二分されたかのような書き方になっていますが、よく読むと両派とも著名人やマスコミです。CMが向けられた先であるはずの一般大衆がどうとらえていたのかが見えません。ハウスの「売れなかった」というコメントがあるのみです。「ラーメンが美味しそうではない」というのは個人的な感想ですので選考の際には述べませんでしたが、一般の人々がどうとらえていたのかも掘り下げないと、本当に中立とは言えないと思います。--西村崇会話2021年8月29日 (日) 01:14 (UTC)[返信]