ノート:瘠我慢の説

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さらっと青空文庫で読んでみましたが、素直に読んだ限りでは、ここに書かれている「内容」とは大分違う印象です。

原文では、勝海舟・榎本武揚批判のポイントですが、江戸城開城や函館戦争の降参ではなく、その後の明治政府での立身、またそれに伴う富貴であるように読めます。(と言うか、そうはっきり強調されています。)

まあ、勝海舟の(幕末の)言行については、それそのものを批判してます。それでも保留付きです。

「禍をば軽くしたりといえども、立国の要素たる瘠我慢の士風を傷うたるの責は免かるべからず。殺人散財は一時の禍にして、士風の維持は万世の要なり。これを典して彼を買う、その功罪相償うや否や、容易に断定すべき問題にあらざるなり。」

上記の批判のあとで、

「この点(<=#引用注 維新によって社会が乱れるのを防いだこと?)に就ては我輩も氏の事業を軽々看過するものにあらざれども、独り怪しむべきは、氏が維新の朝に曩(さ)きの敵国の士人と並立て得々名利の地位に居るの一事なり」

と補足・強調してるので、こちらをどちらかというと重視している様に思えます。 この点が榎本武揚と共通で批判されている部分かと思います。

福沢諭吉の批判の内容のまとめとしては、まあ勝海舟の場合は『幕府に対する「瘠我慢」の情がなかった』でもそれほど違和感は在りません(でもそれだけでもないようです)が、榎本武揚に関してはそれだけでは支離滅裂です。

こちらに関する批判は、『「・・・最期には降参してしまった」ため』ではなく、

「氏の挙動も政府の処分も共に天下の一美談にして間然すべからずといえども、氏が放免の後に更に青雲の志を起し、新政府の朝に立つの一段に至りては、我輩の感服すること能わざるところのものなり。」

こうはっきり書いてますので、これを読み飛ばして紹介するのはどうかと思います。 というか、現在の記述のままでは、正直意味が通りません。

うまくまとめる文章力がないのでコメントのみで失礼します。 -- 220.111.114.120 2007年3月6日 (火) 05:03 (UTC) (署名追加)[返信]

大前提として、加筆者が一次史料を直接解釈し記述するのはWikipediaでは駄目なのでは? 史料の真贋、版本による相違、他史料との関連などは歴史学の訓練を積んでいなければできないから。したがって、変と思っている箇所について専門家が記述しているものを引用し、まず典拠として提示するべきかと思います。後発言の後には署名お願いします。--219.98.2.62 2007年3月6日 (火) 04:00 (UTC)[返信]
ご指摘ありがとうございます。(署名をつけました)
Wikipediaの大前提?は、存じませんでした。この場合は、一時資料云々で問題になるのは「歴史学」と言うよりは「書誌学」?でしょうか。確かに私のコメントは青空文庫のものを元にしていますので、あまり「原文」と言う権威や正当性はないかも知れません。
ただ、一つ思うのはこれは「歴史の解釈」ではなく、「作品の紹介」だと思い、書いてあることに忠実に紹介できていないと感じましたもので僭越ながらコメントしました。(だから言葉足らずという表現を使用しました。)
「作品の解釈」となればまた別ですが、私の指摘(および元記事の不足)はそこまでのレベルのものでもないと(私は)思います。
(その底本の信憑性が重要なら、元記事にも底本の記述が在るべき、とも思います・・・私と同じ青空文庫なら議論が成り立つw て書いたらちゃんとありましたね。失礼しました。私のコメントの元となるのは左記青空文庫のhtml版です。この時点で確かに厳密な指摘にはなりませんが、でも記事のリンクでは青空文庫版も紹介されてる・・・)
おそらくルールのご指摘を頂いたのだと思いますので、次に書き込む時は、少しWikipediaについて勉強して参ります。不作法をお詫び致します。-- 220.111.114.120 2007年3月6日 (火) 05:03 (UTC)[返信]