ノート:牧野キク

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参考文献について[編集]

本記事の初版、および関連する人物の山下二枝初版において『新訂 現代日本人女性人名録』なる参考文献が挙げられていますが、この名称での書籍が確認できません。「日外アソシエーツ編集・発行、2001年」とのことで、近いところでは『新訂 現代日本女性人名録』がありますが、これを実際に読んだところ、牧野キク氏、山下二枝氏、共に記載がありませんでした。初版を立項されたIPユーザー氏が9年間も活動されていないようで連絡不可と思われますので、初版に用いられたた正しい文献をご存じの方がいらっしゃいましたら、お教えいただけますよう、お願いいたします。--逃亡者会話2020年7月31日 (金) 12:41 (UTC)[返信]

情報がありませんでしたので、自力で出典を捜しつつ、2020年10月25日 (日) 20:41差分)にて改訂させていただきました。しかしながら加筆前に存在していた
  • 「その後、札幌藤高等女学校教頭に就任」
  • 「この他、北海道青年師範學校客員教授(1948年~1949年)、北海道学芸大学札幌分校岩見沢分教場客員教授(1949年~1954年)も務めた」
の2点、2013年5月13日 (月) 10:01 (UTC)差分)で挙げていただきました出典『私のなかの歴史』に記述が見つからず(私の読み込みがまだ不足かも知れませんが)、除去させていただきました(申しわけないのですが当時の出典提示方法「以上について~」では、その資料がどの記述の出典にあたるかが不明確です……)。引き続き、情報を捜索させていただきたく思います。--逃亡者会話2020年10月25日 (日) 20:51 (UTC)[返信]

小樽高等女学校について[編集]

小樽高等女学校に赴任した記述の箇所に、北海道庁立小樽高等女学校と区立小樽高等女学校とが錯綜しているように見受けられます。両校は別々の学校で、同時期に併存していたことが当時の文献で確認できました。また、別の文献には小樽市立小樽高等女学校の教員であることがわかり、これは1922年に小樽区が市制を施行し小樽市になったものです。これらから、小樽区立小樽高等女学校に勤務していた蓋然性が高いと思われます。ただし、北海道庁立小樽高等女学校とはまったくの無関係であることは確認できていないので、北海道庁立小樽高等女学校に関する記述は現時点では削除しないでおきました。--笛吹岬会話2023年11月6日 (月) 13:06 (UTC)[返信]