ノート:瀬長亀次郎

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その時歴史が動いた 「忘れられた島の闘い・沖縄・返還への軌跡」 (NHK総合 2007年8月1日放映)によれば、米軍の圧力でリコール条件が緩和され、結局市議会の17対10で一応「民主的に」那覇市長を解任されたことになっています。こちらの説のほうが当時の新聞記事のフラッシュもあり本当のように見えますが、真相は?「7度の不発不信任決議」も出てきていません。

また同放送では納税率は86%まで上がったとありますが、97%とは言っていませんでした。ここのところの真相は?

[3/19/2016] 自分はこの数値に対して、通常ならすぐにつく出典要求が付かないことが問題の象徴だと思っていますが、一方それ以前に人民党=共産党合法部門という事実を否定する修正が執拗にされているために対応しないでいます。新報の戦後政治史でページを指定すればいいだけだと思いますが、もし本コメントを書かれた方が沖縄県民で新報の出版物をすぐ確認できるようでしたら出典を明記した上で修正して頂ければと思います。出典がないと編集合戦が始まる可能性がありますので。

人民党=共産党という事実を否定する編集が執拗に行なわれている件について[編集]

沖縄県外の皆さんにはわからないことかと思いますが、実はこの話は沖縄戦後政治史最大のタブーの一つです。

御参考まで、もう一つのタブーはコザ騒動が煽動によるものだと言うこと、一度基地外での騒動が収まったにも関わらず時間が経った後に基地へ不法侵入しての放火等による破壊工作(これは後日全て日本政府が税金で弁償しました)が行なわれたことです。 これは県外には左翼勢力と見なされている、琉球新報が発行した沖縄戦後政治史にも載っている話です。

なお、人民党設立委員全員は死去まで共産党籍を認めませんでしたし、琉球新報ですらそのような態度を記事中で非難しています。 つまりこれは実際に沖縄県内で権威を持っている新聞が非難をした重大な事実です。(気になる人は勝手に調べてください。自分はその新聞を直接読みましたので。)

これに対して、沖縄の抵抗運動はか弱き市民による精一杯の抵抗だと位置づけたい勢力があり、執拗に瀬長亀次郎及び人民党への編集が行なわれています。気になる方は履歴を見てください。訂正前後でどれだけ記事が変わっているか。しかも左翼の巣窟と保守勢力には見なされる、大原の資料にすら明記されているのにそれを無視して関係者のサイトを追記する、あまりにも中立性を欠いた訂正に注目してください。

このような悪意のある意図的な編集がされ、そのことに対する注意喚起が少しでも拡散される、それが瀬長亀次郎・人民党にまつわる沖縄県内の特定政治勢力による宣伝活動がいまだに続いていると皆さんに知ってもらえるわけで、非常に意義があることです。

自分は共産党籍での運動に対する評価をするつもりは一切ありません。ですので、そもそも瀬長の市長解任は一定の民主的手続きとみなせるというのではないかとの指摘には特に対応しません。事実として、人民党が共産党の工作機関であったということを明記するだけで、それに対する評価の記載はしません。 瀬長の対応が正しいというならば、彼が共産党工作機関の人間であろうが問題がないのではありませんか?

〈工作機関〉という表現自体が、中立的ではないでしょう。〈共産党員であることを隠していた〉のならば、そういう表現でいいだけのはなしです。あと、アメリカの沖縄統治は国連の信託統治ではありません。 --ねこぱんだ会話2016年3月19日 (土) 00:40 (UTC)[返信]

 はい、これは非常に注目すべきコメントです。ねこぱんださんが普通の人ではない重要な証拠です。  「アメリカの沖縄統治は国連の信託統治ではない」これは普通の人にはわからないでしょう。  俗に言うサンフランシスコ平和条約で、我が国日本は連合国軍に対してアメリカへの信託統治委任に賛同する旨を示しました。これに伴い沖縄だけでなく小笠原諸島も信託統治下に入りました。しかしながら、形式的に信託統治「の決議」はされていません。この人の発言はこのことを指しています。ならば、サンフランシスコ平和条約自体を否定するのでしょうか?それは言わないでしょうね。この人が左翼の論調によっていることが丸出しになるからです。  春の統一地方選前になると左翼が元気になりますね。この人も意図的に編集合戦を始めるつもりでしょう。そして、まずさぐりとして人民党が共産党の合法機関であるという事実を消しました。都合が悪いですからね。大原の資料、これに対して何一つ触れていません。当たり前ですね。瀬長同志()の報告が克明に記録されていますから。 このようなおかしな運動家が編集を繰り返しているということをみなさんに知って頂きたいと思います。  ねこぱんださん、大原の資料に即して人民党は共産党の沖縄における合法機関であったことを否定して下さい。できないでしょうがね。奄美党細胞自体が混乱の中、党中央の指示を確認するのに必死であったことが全て書かれていますからね。

ノートページでの発言には署名をお願いしたいのですが。そこはいかがでしょうか。『「アメリカの沖縄統治は国連の信託統治ではない」これは普通の人にはわからないでしょう。』とおっしゃいますが、当時のことを同時代で知っているならば、信託統治ではないことは明白だったと思います。信託統治ならば施政権の返還はありえませんから。宮里松正『米国支配二十七年の回想』(ISBN 4-87127-154-4)という年表形式の本には、1952年8月15日の項に、〈米国統合参謀本部は、「琉球列島に対する信託統治構想」を放棄した〉(p28)とあります。あと、大原の雑誌は加藤哲郎さんの個人論文ですから、〈大原〉といい募るのは、加藤さんに対して失礼ではないでしょうか。〈大原の資料、これに対して何一つ触れていません〉とおっしゃいますが、履歴をみていただければわかると思いますが、加藤さんのなまえをだしたのは私の編集です。あと、わたしは〈沖縄の抵抗運動はか弱き市民による精一杯の抵抗〉とは思っていません。そういう人たちが実在するかどうかは知りませんが、よくこちらの編集を読んでください。人民党を結成した人たちが当時の日本共産党の党員だとしても、実際の活動には、共産党の〈指導〉がはいっていたかどうかは、加藤さんの論文をみても1958年以降に関してはわからないわけです。あったかもしれません。この前の不破講演にしても、1970年の国政参加選挙の応援のときに〈公然と沖縄で活動するのは初めて〉(2016年3月19日付『しんぶん赤旗』)といっているので、とりようによっては微妙な表現です。それはそれとして認めればいいのであって、〈合法機関〉と断定的な表現にするのはいかがなものかというところです。 --ねこぱんだ会話2016年3月23日 (水) 12:36 (UTC)[返信]

 ねこぱんださんのコメント及び編集は、もう冷戦という概念を実感できなくなった若い世代には非常に有益だと思います。この擬似的な論争は物事を整理するのにとてもいいとつくづく思います。  まず最初にお断りしておきますが、自分は左翼の「世論工作」、これは冷戦下で普通に見られたことですし、逆に自由主義陣営の政権側も文化的・経済的成果を誇示していたわけですから、自分は双方とも特に問題視していません(少なくとも自分が勝手に判断する話ではありません)が、工作機関・合法機関という感じの言葉に悪い響きがあるというなら、合法政党部門という言い方でも特に問題がないと思います。印象は大事ですからね。  あと、信託統治が形式的・あるいは信託されていないという話についてですが、さしあたりこの議論は後回しにします。高等弁務官をわざわざ任命し、議会制度により住民自治の形式も整えている点は大きいと思いますが、結局の所国連の信託統治リストに入っていないということは事実です。米国の領土(州・準州・保護領)とされなかった、この統治形態は返還が実現した大きな要因だと思いますが、重要性は個人の考えの話です。そして、サンフランシスコ平和条約によっている、これもねこぱんださんは議論から回避したいようですね。数多くの国が米国による信託統治を条約締結により認めたわけで、日本と米国の間で勝手にやった取引ではないという明快な話ですが、これも「国連による」信託統治にはなりませんから。  しかし結局の所ねこぱんださんが執拗に編集を繰り返しているのは「人民党が共産党に合流した」という記載であり、党中央の指導下にあった合法政党「部門」という事実そのものへの否定です。正直、偏向という何か感情的に部分があるというならば、もっと他に直すべき所があると思いますが、そこはあまりいじっていないんですよね。またもっと前の版、沖縄の左翼が好む「アメリカの世」=米軍支配という文調への直接の文句も礼賛もありませんので(もしかしたら、自分がすぐに信託統治に関して正確な理解を示さなかったら違ったのかもしれませんが)、残る論点は人民党が共産党の一部門であったかどうかでしょう。  変にうがってしまうのは、ねこぱんださんもかなり事実関係の詳細を把握しているからで、わからない人が盲目的に信奉している話とは全く違うからです。(県民の平均値がねこぱんださんを大きく下回る、付和雷同に近い状態なのは残念なことです。)ねこぱんださんが色々おっしゃる割には、設立経緯を説明した文章がネットですぐに読めることもご存じで、でもその後も共産党の一部門であったかどうかはわからない=独立していて合流とする、このイコール以降のまとめはずいぶん苦しんだ結末だなと思います。そして、日本共産党員ではあったが日本共産党の指導下にあったかはわからない。正直こうまで言って修正しようとする努力に驚いています。本記事ということではなく、単なる論理として変わったという話がなければ変わっていないとしか言いようがないではないですか。(ただし人民党員は共産党籍すら否定していますが。)  いずれにしても、党の合法部門を否定する編集を繰り返す程、ますます好まない注目を浴びることになりますよ。  自分は逆に、国際派・所感派という歴史でしか知らない分裂騒動の中、奄美細胞が党中央の指導下にあろうとしたことは評価すべきだと思います。(自分はどちらの支持者でもありません。)ただ、どうもねこぱんださんはそれを認めたくない、なるべくならば周知もされたくないということなのでしょうか。

署名をいただけないのは残念ですが。リード文の部分で、復帰前の役職と復帰後のものが混ざっているのを年代順に整序しました。これはそちらも異論のないことだとは思いますが。信託統治のことはここの主題ではないと思いますが、宮里さんの本によれば条約として確定する前に、いろいろと異論は出ていたようです。とりあえず。 --ねこぱんだ会話2016年3月25日 (金) 23:55 (UTC)[返信]

ねこぱんださん、なるほど、自分がしばらく書き込みをしなかったので「いける」と思ったんですね。 あなたのように特定の主張に書き込みを変えようと執拗に運動をするような人が署名を求めて自治厨を気取ったり人格攻撃をする、まさに人民党に関する問題の象徴です。あなたによる改変と自分によるroll backによる編集合戦、これは皆さんにぜひ見てもらいましょう。 自分が書いた、人民党を共産党に合流させた「として」、さすがにここに手をつけるのは止めたわけですね。自分が最終的にこの記載にした説明を明快に書いておきます。人民党の設立経緯から、とても人民党は共産党と独立した機関とは思えない(あなたは機関という言葉に過剰に反応するようですから組織と言い換えてもらってもかまいません)、一方瀬長他は合流したと言い張っている、ならば両論併記は「として」しかありません。宣言自体は事実ですからね。だからといってあなたが友党だのと瀬長の発言だけを追記してボリュームを膨らませる、これはあなたの脳内では公平なことなんですか?違うことはあなた自身が理解して意図的にやってますよね。 それから、いろいろと異論が出ている、なんなんですかこの悔し紛れの反論は。条約として締結された以上、それが最終合意であるとして扱われる、こんなことすら注意されないといけませんか。もっと言うと、国際法は別に公平な法律ではありません。単なる外交上の処理手順にすぎません。日本として信託統治は諸手を挙げて賛成でも何でもなく、ここまでしかできなかっただけの話です。沖縄の信託統治について自分は認めているわけでも何でもありません。本来「国連による信託統治」を「サンフランシスコ平和条約に基づく米国による信託統治」に変えればいいだけのことです。様子見をしたことが、これだけあなたの偏向編集を効果的にあぶり出すことになるとはさすがに思いませんでした。もう少し理性的な人だと思っていましたが残念ですね。

信託統治問題ですが、サ条約にはこうありますよね。〈第三条 日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)、孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。〉実際には、アメリカは「合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案」を行わず、〈領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使〉したわけじゃないですか。だから、日米政府間の交渉で、この区域は日本に復帰したのでしょう。 --ねこぱんだ会話2016年3月30日 (水) 01:49 (UTC)[返信]
人民党と共産党との関係のことですが、どうもかみあわないような気がするのですが、確認したいと思います。両者の関係として、
  • A=人民党入党と同時に非公然の共産党員となる。人民党の組織そのものが共産党の細胞である。
  • B=人民党のなかに非公然の共産党の細胞があり、人民党員のなかから有望な人を共産党に加入させる。人民党の指導機関には共産党員を登用する。

ということが考えられますが、わたしはAのケースならば「公然組織」といってもかまわないと思いますが、Bのケースならば別組織と考えるべきだと思い、そういう方向で編集しています。そのところはいかがでしょう。ここがはっきりすれば、合意にいたることは困難ではないと思うのですが。 --ねこぱんだ会話2016年3月30日 (水) 13:06 (UTC)[返信]

ねこぱんださん、まずあなたは沖縄の人ではないように思います。単に共産党の編集を見ての一方的な推測ですが。人民党員に対して過去を認めるべきだという記事を(当然紙面で)正式に書いたのは新報自身ですよ。(紙面に載りました。)沖縄で左翼の歴史に共感できない - これを保守と取られるのはどうかと思いますが - 一番の理由が人民党の歴史じゃないですか。あなたのB案、もし人民党の中に共産党の細胞があったとしたならば、共産党員が入り込んで組織を乗っ取ってしまっていたにもかかわらず沖縄の人々を人民党として指導していた、それはあなたの愛する代々木の党中央()の見解なんでしょうか!?指導機関には共産党員を登用する、これは「乗っ取り」でしょ。自分+新報のA案よりあなたのフォローの方がよほど共産党のイメージに対する直接的なダメージを与えていると思いますけどね。正直、これだけうまく工作ができない人はこれ以上Wikiで頑張るべきでないのではないでしょうか?党中央()の手足の人のレベルがこんなに低いのにはあきれます。一時期(すぐ見れなくなったので消したようですが)党のサイトに載っていた「共産党が非合法とされていた状況においてはやむを得なかった」(確認できないので不正確です)という感じの説明の方がよほどうまく説明していたと思いますけどね。そして自分はその方がよほど理解できます。繰り返しですが冷戦下の話ですから。 それから唐突な編集の指摘にはだんまりで急に張ったサンフランシスコ平和条約のコピペ、自分が指摘した内容をただ張っただけじゃないですか。信託統治は実際に国連内で処理されていないが形式を整えて高等弁務官を出している。手続きの瑕疵について反論をする気は全くないんですが。そもそも自分は歴史的事実を有利・不利で選択するつもりは全くありませんし、繰り返しますが自由主義・共産主義の冷戦下でお互いが宣伝合戦をしていたこと=別に真実ではなく「主張」を手段として行っていた点はむしろ強調していただいて構いません。 あなたは合意に至ることは困難でないと書いていますが、むしろ常識的な人がこの流れを見たら最初から最後まで平行線というだけだと思いますけどね。あなたは自分の指摘を一切認めないし、自分はおかしいと言い続ける。残念ですがこの形がセカンドベストなのでしょう。それが旧人民党員に対する新報の指摘です。読んだことのないあなたにはわからないでしょうが、瀬長を無批判に信じていた自分にある日届いた新聞に書いてある記事に衝撃を受けたのが、今回の編集合戦に参加し続けた自分の動機です。

しばらくこのページをみていなかったので、お返事が遅れました。たしかに、わたしは沖縄の人間ではありませんし、人民党が共産党に衣替えしたときには中学生だったので、詳細の記憶もありません。霜多正次さんの作品を読んで、沖縄に関心をもったくちです。ですから、人民党が米軍や保守層から〈アカ〉呼ばわりされていたことは、小説を通して知ったことです。ご存知のことでしょうが、現在の共産党は、人民党員だった時代を共産党の党歴とみなして、五十年党員の基準にしています。ですから、矛盾していると思われるかもしれませんが、〈アメリカ統治下には共産党は存在せず、人民党がその代わりをしていた〉(だから別の名前の組織だということです)と思っていました。つまり、瀬長のたたかいは、〈共産主義者が公然と名乗れないから人民党を名乗った〉だけのことで、そこに〈工作〉とか〈宣伝〉とかの要素はとくに考えていませんでした。ですから、まるで人民党を共産党の謀略のように描く編集にはひとことあるべきと思って、編集にかかわっていたのです。加藤哲郎さんの論文や、復刻版の史料によれば、非公然の組織があったようですが、そのメンバーが人民党の中心にいたからといって、〈乗っ取り〉ということはないでしょう。民商や新婦人に共産党員が多いことは公然の事実でしょうが、それらの組織を〈乗っ取り〉とはだれもいわないでしょう。琉球新報に記事が載ったというのならば、最後にひと項目おこして、新報の記事を要約した記述をいれ、それ以前の部分はそれ以前の公式見解で記述するというのはいかがでしょうか。 --ねこぱんだ会話2016年7月23日 (土) 15:31 (UTC)[返信]

というわけで、共産党員が人民党を名乗ったのを策略のように描く記述は修正させていただきます。 --ねこぱんだ会話2016年8月3日 (水) 12:03 (UTC)[返信]

 「というわけで」の前がメチャクチャですので編集は取り消しました。当たり前の話です。記述の追加はしていません。 やっとここまで来て、あなたは沖縄の人間でないことを認めました。あなたは自分が誘導したいことについて不都合な点は極力逃げる人のようですね。 共産党の沖縄における活動についていくらあなたが都合の悪い資料に気づかないつもりでいたとしても、大原の資料に明記されていることです。そしてそれはあなたが最初に反論してきたことです。大原の出典は自分が最初だと。あなたは残念ながら、あるいは閲覧者にとっては幸運なことに世論工作の技量に欠く人のようですね。

 それはともかくねこぱんださんに伺いたいこと、それは共産党が米国の施政下にあった局面において人民党を組織して沖縄への関与を行なったこと、これは恥ずべき、そして隠して否定すべき話なんでしょうか? 冷戦下の話は前もしましたが、むしろ堂々と言うべき話ではないかと思います。自由主義陣営側も工作活動をしているんですから。国際管理地のベルリンにベルリンフィルがいて旧西ドイツが国威発揚目的で演奏を繰り返す。そういう文化的な話から政権転覆活動が疑われる例まで、様々な話が両陣営共にあります。ねこぱんださん側の思想自体は全く支持しませんが、乱暴に言うとお互い様です。  単純な話、沖縄での左翼勢力の活動をどうして否定し続けるんですか?沖縄で運動にかかわった人は日共の恥なんでしょうか?冷戦が終結して昭和も「昭和時代」と言われるようになる中、ねこぱんださんが執拗に歴史を否定する編集を繰り返し、御自身の発言にもかかわらず都合のいい忘却をして編集合戦を繰り返す意図について全く理解できません。  平成の世の中という元号の言い方は好まれないでしょうから変えますが、21世紀にもなってねこぱんださんの中で冷戦は終わっていないのでしょうか?ある限りの資料を出して補強するのではなく、自分の主張に沿った資料だけをピックアップしてそれに従って編集を執拗に繰り返す、これは大げさに言うと、歴史の捏造ではありませんか?

 少なくとも大原の資料は第三者の資料であり、「構成上」当事者である「共産党の公式見解」よりも客観性が高いので、ねこぱんださんの提案に乗ることはできません。これは大原が別の団体名であっても、あるいは共産党が自民だろうがもっと保守的な党であろうが関係ありません。逆に保守(自分が保守思想であると疑われているならば個人的には侵害なんですが)に都合の悪い話であっても、定評のある研究機関の第三者資料に基づいて書かれる分には全くなんとも思いません。実際、米国施政権下での保守勢力による便宜供与に近い話がどこかのページに書かれていたと思いますが、確認できる資料がありませんでしたしそもそも訂正する動機もありません。

自分の希望は単純で、米国施政権下での両勢力のせめぎ合いについて後世の人の気づきになるような、極東のkeystoneと言われた状況を後世の皆さんが理解する一助になるページが、アクセスしやすいこの場所にあって欲しいということです。

〈アメリカ統治下において党員であることを隠さざるを得なかった〉ことと、〈本土復帰後も党員だったことを隠した〉とは、次元が違うと思うのですが、いかがでしょうか。現在の記述は、そこがごっちゃになっているように見えるので、〈人民党時代の評価について〉のような新しいセクションをおこして、〈復帰前のたたかいでは党員であることをかくさざるを得なかったが、本土復帰後も瀬長は隠したし、関係者も隠している〉というような記述にして、経歴を同時代的に記述するところでは、公式のものでいくのはいかがでしょうか。それでも〈乗れない〉のでしょうか。 --ねこぱんだ会話2016年12月2日 (金) 13:45 (UTC)[返信]


久々に来ましたが、独自研究?というタグはついていますが、文章はおおよそそのままなんですね。安心しました。自分の文章がいいとは決して思いませんが、お若い方にとって左右は当時はるかに重い話だったと言うことは伝わるでしょう。先日牧志の所の新しい図書館で探しましたが新報の戦後史はなかったので、今度古本市があったら買ってこようと思います。(実は前も市で買いましたが内地で戦後沖縄史に興味がある人がいたので上げてしまいました。) ところで御提案の件ですが復帰後も隠している以上、隠さないといけないような状況だろうがそうでなかろうが、人民党幹部は死去まで隠したわけで、なぜそこに復帰前の事情を入れようとするんでしょうか?関係なく彼らは工作活動をしたわけです。逆にそのこと自体を評価しないんでしょうか?それとも左翼にとって彼らは恥なんでしょうか?

 久々に来たら、左翼勢力にとって都合の悪い話は全部消去ですか。本当に驚くほど卑怯極まりない人です。あなたがここで執拗に捏造をし続けるのも、あなたは近所に全く相手にされていない、社会的信用が0の人だからなんでしょうね。

 さて、私がいなくなったら急に人民党の話を消してしまいましたが、ではあなたが提案した内容をちゃんと書いてくださいね。

 この前久々に帰省して新報の本を「沖縄の人なら誰でもわかる大きな書店の1Fの古書コーナー」で探しましたが、ちょっとピッタリしたものは見つかりませんでした。そのうち見つかるでしょうから全て直して独自研究のおかしなレッテルを剥がします。それ以前にあなたの言っていることのほうが独自ですよ。

 あと、コザ暴動及び沖縄返還も記述がおかしいので全部キレイに直します。コザ暴動が煽動であるとの話はあちこちに出ていますからね。