ノート:法蓮寺 (塩竈市)

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「法蓮寺 (塩竈市)」への改名[編集]

  • 前に私が「投稿者本人の削除依頼」を出した際にも気になっていたのですが、「しおがまし」の正式名称は「塩竈市」なので記事名も「法蓮寺 (塩市)」ではなく「法蓮寺 (塩市)」にしたほうが良いのではないでしょうか。塩竈市のホームページ/「竈」の字の書き方でも「」と「」は字義が異なること、塩竈市役所で作成する公文書においては「塩竈」を使用することを述べていますので、『Wikipedia:記事名の付け方』の基準から言っても「」にしたほうが良いのではないかと考えます。既にリンクが張ってある記事が数箇所ありますので(私の知っている記事では鹽竈神社塩釜神宮寺法蓮寺)大変かもしれませんが、最悪リダイレクトを作れば問題ないかと思います。もし、問題が無ければ「記事の移動」を行い(Wikipedia:ページの改名参照)、リンクを張りなおしたいと思いますが如何でしょうか。細かいことを申し上げてすみませんが、皆様の御意見をお願い致します。特に異論が無いようでしたら、2週間後に「記事の移動」とリンク張りなおしを行います。それと誤解の無いように申し上げますが、この記事自体に問題を提起しているわけではありません。--ひら室長 2008年11月23日 (日) 23:27 (UTC)[返信]
賛成します。私が塩釜神宮寺を書いたときに参考にした2冊の本は、どれも「塩釜」と書いていましたので、その記事では「法蓮寺 (塩釜市)」でリンクを張りました。が、ひら室長さんのおっしゃる通り、市については「塩竈」が良いと思います。今ざっと眺めたところでは、江戸時代までずっと「塩竈」だったところに、明治になって「塩釜」が現われ、20世紀末まで一般でも官公庁でも主に用いられたようです。今でも塩釜を正式名称の一部にする団体・機関は多いですが、90年代以降の歴史関係の文献では、混在しつつも塩竈が優勢という印象を受けました。かっこ付きでのリダイレクトは作らないことになっていますので、「法蓮寺 (塩竈市)」に移動して、残ったリダイレクトは削除しましょう。「リンク元」で確認したところ、張り換えは6、7ですみそうです。--Kinori 2008年11月26日 (水) 11:54 (UTC)[返信]
御意見を頂きまして、誠にありがとうございます。改名提案を出してから一週間ほど経ちましたが、賛成の御意見のみの様ですので、このまま何も無ければ12月7日に「記事の移動」を行います。
宜しくお願い致します。--ひら室長 2008年11月30日 (日) 12:11 (UTC)[返信]
御賛同頂いた方々、御協力頂いた方々ありがとうございました。無事に移動致しました。また、鹽竈神社塩釜神宮寺法蓮寺Wikipedia:索引 ほう のリンクは直しました。これ以外に訂正していないリンクを見つけた場合は、随時訂正して頂ければ幸いです。宜しくお願い申し上げます。--ひら室長 2008年12月8日 (月) 14:01 (UTC)[返信]

塩釜町方留書[編集]

『塩竈町方留書』の「御成之間御床額」に書いてあるとの記述ですが、その箇所「御同寺 御成之間御床額 袖ヶ崎様御直筆」は、直前の「黒門ノ額」同様、寺の貴重な所蔵物を書いたものと思われます。袖ヶ崎様は伊達吉村です。また、『塩竈市史』の史料解説には、塩竈・塩釜等の表記は原文通りにしたとありますので、書名は改めず『塩釜町方留書』としたほうがよいと思います。そうなりますと、結局、上で私が書いた「江戸時代までずっと塩竈」は誤りで、塩釜の表記は江戸時代にさかのぼるようですね。今、仙台叢書の『封内風土記』を見ましたところ、鹽竈と鹽釜の表記が混じっていました。--Kinori 2009年7月18日 (土) 09:04 (UTC)[返信]