ノート:江戸開城

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

2.2 天璋院・静寛院・輪王寺宮の歎願について[編集]

2.2 天璋院・静寛院・輪王寺宮の歎願の中で、天璋院の遣わした使者については「この使者は13日に帰城しているが、ほとんど影響を与えなかったようである。これらの歎願の多くは結果的には却下されることが多かったが、下参謀西郷隆盛らに何らかの心理的影響を与えた可能性もあり、小説やドラマなどでは積極的にエピソードとして採用されている。」と本文に記載があり、注釈上で『戊辰解難録』にある「先日来静寛院宮・天璋院の使者来りて、慶喜殿恭順謹慎の事を歎願すといへども、唯恐懼するのみにて条理分らず、空しく立戻りたり」が根拠として挙げられています。

しかし、「NHK大河ドラマ歴史ハンドブック 篤姫」の中で大石学さんは、つほねが西郷吉之助と面会し、西郷より嘆願を受け入れる旨連絡があり、江戸総攻撃は中止となった旨を論じられています。根拠となる史料として「天璋院様御履歴」の中の記述が紹介されていました。西郷より天璋院宛に嘆願を受け入れるとの連絡をしているのであれば矛盾が生じ、山岡鉄舟の記録がつほねの面会結果が無駄に終わった根拠とはなり得ないのではないでしょうか。加えて、西郷の連絡を受けた天璋院が、それを受けて家中に対し静謐を保つよう御触を出していることも、天璋院の使者が大きく影響したことを示す間接的な根拠となるのではないでしょうか。

そこで、反対意見など何もありませんでしたら、「ほとんど影響を与えなかったようである。これらの歎願の多くは結果的には却下されることが多かったが、下参謀西郷隆盛らに何らかの心理的影響を与えた可能性もあり、小説やドラマなどでは積極的にエピソードとして採用されている。」という本文中の記述を修正し、「西郷隆盛らに心理的影響を与えた可能性が考えられる」という文を付け加えたいと考えます。ご意見等、お願いいたします。--Shelling ford 221b会話2013年10月13日 (日) 08:25 (UTC)[返信]

論題の提起から2ケ月弱お待ちしましたが、特に何もなかったため、提起した通りに本文を変更いたします。--Shelling ford 221b会話2013年12月6日 (金) 10:22 (UTC)[返信]