ノート:永山義在

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薩摩藩における永山氏は、藤原氏流薩摩蒲生氏を祖とする分家です。 何ゆえ足利義在を永山氏の祖とされるのか、確かな資料の提示をお願いします。 また、明治期西南戦争における西郷軍三番大隊長永山弥一郎盛弘が足利義在の子孫であるという、確かな文献もあわせて提示していただきたく思います。 ちなみに永山弥一郎盛弘の家紋は足利家の二つ引きではなく、四つ菱剣です。(南洲墓地にて確認できる) また、明治新政府において重要な役割を果たした永山姓を持つものは弥一郎盛弘、休二兄弟の他にも、永山武四郎とその兄永山盛輝、永山在兼がおります。足利義在が永山氏の祖ならば、彼らもまた足利義在の子孫になりますが、そのような文献を目にしたことはありません。--124.255.30.196 2008年3月25日 (火) 18:49 (UTC)[返信]

足利義在が薩摩島津氏を頼った経緯については、父義昭が島津氏にも信長包囲網に参加するように書状と官位などを授けようとした際、島津家久(義久・義弘の異母弟)がこれに応じたことが縁となったと耳にしたことがあります。 後にこれが羽柴大納言秀長の耳に入ることになり(或いは秀長と通じていたとも)、秀吉の九州征伐のおりに家久が毒殺されたとする説に繋がったりするようです。--櫻井 2008年10月11日 (土) 14:46 (UTC)[返信]


個人的には大変、面白い話だと思います。もし、出典などが分かりましたら「逸話」としてでもいいですので、出典も含めて本文に記載すればいいと思います。-ショッカー-60.38.255.133 2008年10月20日 (月) 22:16 (UTC)[返信]