ノート:歩兵第41連隊

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沿革・テンプレート記事について[編集]

いろいろ書きたいことはありますが、とりあえず、気づいた点について。創設以来つねに前線に派遣された古豪連隊ですが、その戦歴について沿革記事はつぎはぎで一貫していません。まず、「蒙チョウ作戦」とありますがこれは? つぎに39年に山東省から「大連へ移るも‥」とありますが、何のための行動ですか? これは歩兵連隊記事全般に共通していますね。大連へ移動の理由がない記事から読者は得るものがあるのですか? さらに「大連に移るも直ぐに華南に移動‥」とあるが、なぜ南寧攻略その後の防衛戦が省略されてるんですか? 「第5師団は第25軍に加入し‥」「南海支隊に加入し‥」の「加入」という語句も妙ですね。旧陸軍の用語なら戦闘序列に編入され‥云々ではないでしょうか。またブナで全滅寸前だったはずが突然ミンダナオにいるのも読み手は混乱するでしょうね。とくに酷いのは本連隊のレイテ投入あたりの記述でこれは月日なしですか‥‥ つぎにテンプレート記事について所在地が広島から福山に変わったのはいつですか? また第5師団から第30師団に隷属がかわったなら補充担任も変更になったはずですがそういうことも完全無視。通称号も兵団文字符が「鯉」だったときは抜いていいんですか? 読めば読むほど不思議な記事としか言いようがありません。   --yatiyochan 2009年5月18日(月) 13:30 (UTC)