ノート:武田義信

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武田義信生存説のソース http://homepage1.nifty.com/akazonae/ets/yoshinobu/yoshi4.html村雨乃光 2006年12月15日 (金) 05:38 (UTC)[返信]

信憑性なし[編集]

>以上、この説の信憑性は分からないが、歴史の面白さを感じさせる話である

そのページの締めはこうなっていますし、ソースにはならないですよ・・・ 知らない人が見たら混乱しますから、信憑性がない説は外すべきだと思います


信憑性の低い説と断って載せるなら問題ないかと。そのような態度は無駄な編集合戦を引き起こす原因になりますので、ある程度編集実績を積まれていない時点では控えたほうがよろしいでしょう。121.1.140.144 2006年12月16日 (土) 03:00 (UTC)[返信]

その書き方なら問題ないと思います。

ただし、実績云々は関係ないと思います。実績があればどうこうと言う問題でもないですし・・・

貴方の方こそ余計な一言は控えて下さいね

時間が経ってから冷静に見てみると、何だか馬鹿らしいやり取りでしたね。

まず、編集経験云々と書き込んだ人自体が捨てIPですもんね。Wikipediaは喧嘩を売る場所ではありませんよ。 何か言いたい事があるのなら、本来の名前を出して書き込むのが筋でしょうね。

捨てIPとかいう謎めいた日本語のことはつっこまないでおきますが、署名のやり方ぐらいは覚えてから出直してください。221.113.30.146 2007年1月14日 (日) 13:44 (UTC)[返信]

ミス[編集]

署名の件はこちらのミスです。失礼しました。諏訪太郎頼光

署名するときは<nowiki>「--203.145.122.158 2013年2月2日 (土) 01:32 (UTC)」</nowiki>と文末に入力してください。一応この分野ではIPで活動することが多いんですみませんね。テキスト除去が主体の編集行為は途方も無い編集合戦につながりかねませんので、加筆しながら不要な部分を除去するようにするといいでしょう。--61.213.75.161 2007年2月7日 (水) 06:09 (UTC)[返信]

まず、この件と編集合戦の話は無関係です。第一、接続する度にIPが異なる方に言われても説得力に欠けます。以後、単発IPは悪戯と見なし相手にしません。

そうですか。まあ、聞く耳がないとのことでしたら仕方ありませんね。61.213.73.40 2007年2月7日 (水) 22:22 (UTC)[返信]

村雨君の仕業だな[編集]

おっ、両方とも朝日ネットですな。村雨さんですか?124.32.19.22 2007年2月7日 (水) 06:50 (UTC)[返信]

意味が分かりません。村雨乃光 2007年2月7日 (水) 07:36 (UTC)[返信]

やっぱ、村雨が釣れたか124.32.19.22 2007年2月7日 (水) 10:34 (UTC)[返信]

民間伝承を書く前にもう一度[編集]

今回の件は、私の勉強不足などもあり色々とご迷惑をおかけしました。が、民間伝承などを書く前にWikipedia:検証可能性を良く読まれた方がいいですよ。それでは失礼します。--諏訪太郎頼光 2007年2月28日 (水) 14:35 (UTC)[返信]


IPさんへ[編集]

やっぱりこの記事のことでしたね。

私の不勉強と指摘して要出典タグを剥がされましたが、該当部の出典は提示できますでしょうか?IPさんが編集してくだされば助かりますが、いちおう地元の人間なので実証的武田研究文献にも一通りアクセスできる環境ではありますので、ノートで誰の研究であるかを指摘してくだされば確認してこれますので、対応できますよ。--でここ 2007年5月31日 (木) 14:46 (UTC)[返信]

義信事件の研究について[編集]

義信謀反の真相について、現在でも「議論が続いている」の一文ですが、どうもいろいろ武田氏研究文献を探していても、義信事件に関する単独の論文とかは見つからないのですよね。平山優先生とか事件の事実関係に関する指摘はあるのですが、事件のの真相に関する考察は大方の研究者の間では一致していた、「議論」が行われている様子はありません。ですから、事件に関する諸説に一節を裂いていることはどうも不自然に思えるのですが、もしかすると実証的武田氏研究以外の、歴史作家のような人たちの間でいろいろ考察がなされているのではないでしょうか。--でここ 2008年4月25日 (金) 21:20 (UTC)[返信]

『越後野志』の記述について[編集]

『越後野志』による川中島における武田義信の活躍について記載されていますが、「敵方の資料に書かれている内容から考えると、武勇、軍略共に、抜群の将であった事が推察される」の一文は独自研究にあたりますので、不適切であろうと思います。私は『越後野志』について知らないのですが、調べてみると文政年間に死去している著者による地誌とのことで、甲斐国における『甲斐国志』にあたる二次史料ということなのでしょうか。果たして「敵方の資料」と呼べるのかについても若干の疑問があります。

『越後野志』は歴史学の用語における「二次史料」であると思われますが、wikipediaにおいては「記事について直接記された文献」のことを「一次資料」と定義しており、私は歴史学における「二次史料」もこれに含まれると思います。私は『越後野志』について知らないので『甲斐国志』で考えますが、『甲斐国志』も江戸時代後期に編纂された「二次史料」ではありますが、『甲斐国志』は今日において何に依拠しているのか不明な情報を含みますので、「事件・人物について直接記した文献」にあたるものと考えます。今日においても、研究者は参考資料として「『甲斐国志』によれば・・であるという」と記しますし。

『越後野志』についても同様で、川中島における武田義信の活躍を記しているとして、では『越後野志』では何を根拠に義信の活躍を記しているのか不明です。『越後野志』の記述を引用することが価値があるのかも、専門の研究者による文献が提示されていないとわかりません。

ですのでまず独自研究部分は適切に改める点と、武田義信について記された文献のなかで、『越後野志』の記述を引用している専門の研究者による文献(研究書)を探してくることが必要であると思います。--でここ会話2016年7月10日 (日) 08:21 (UTC)[返信]