ノート:武川鎮軍閥

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

関連項目に記載する記事[編集]

私、Dokuo350は、2023年12月13日に、関連項目節にいくつかの記事を追加いたしました。その後の編集で、らりたさんから「節度使は全く関係がない。軍人皇帝については軍事力があったから皇帝になれたのは確かなれどローマのそれとは全く意味合いが違う。軍事貴族については八柱国たちの軍事力は府兵制の基に存在するものであって、軍事力は皇帝によって付されるもの。貴族が貴族たる所以はあくまで血統であり、軍事力は直接には関係しない。」と要約欄を通じてご指摘をいただきました。らりたさんのご意見は納得のいくものであると考えております。しかし、それと同時に、軍人皇帝に関してはそのまま残しても差し支えないと、いうのが私の見解です。なぜなら、古代ローマ史研究家の井上文則が、『軍人皇帝の古代ローマ 変貌する元老院と帝国の興亡』のなかで宮崎市定川勝義雄の説を引いたうえで、軍人皇帝(とイリュリア人)および武川鎮軍閥の支配階層としての相似点と相違点について論じているからです[1][2]。私の方ではこの本のほかに両者の関連性について指摘したものは見つけられておりません。しかし、本記事中でこれら二つについて並列して触れることは、全くのナンセンスではないと認識しております。--Dokuo350会話2023年12月15日 (金) 16:41 (UTC)[返信]

ご意見ありがとうございます。井上氏の本のKindle版を買って読んでみました。「武川鎮軍閥とイリュリア人が果たした歴史的役割は、あまりにも似ていると言わざるをえない。」(P137、Kindle位置No1537)
私的にはこの見解には首肯しかねる点がありますが、それは素人意見なので置いておくとして。
本書に対して西洋史学263号の南雲泰輔による書評があり、ここに「また、本章末尾で言及される「素朴民族」としての武川鎮軍閥(宮崎説)とイリュリア人の類比は既述の通り著者年来の問題意識であり、東洋史研究者による論評が切望される。」(P66)とあります。この書き方からするに少なくともこの書評の時点(2017年)で東洋史学者からの言及は皆無であり、西洋史の方も井上氏以外の独特の見方なのではないかと推察されます。
ですので私としては軍人皇帝をこの項目の関連項目に挙げることについて再びの削除はしませんが、賛成はしかねます。以上が私からの意見となります。--らりた会話2023年12月16日 (土) 14:16 (UTC)[返信]
文章修正。--らりた会話2023年12月17日 (日) 08:47 (UTC)[返信]
感謝 返信、ならびに南雲泰輔による書評の紹介をいただきありがとうございます。軍人皇帝を本記事の関連項目に挙げるべきではないとする見解に得心がいきました。したがいまして、関連項目節は現状のもので異存ありません。
また、本件に関して、らりたさんにお時間を割いていただいたこと、重ねてお礼申し上げます。本記事にとどまらず、今後の私の編集に不備・疑問点がございましたら、ご指摘いただけますと幸いです。--Dokuo350会話2023年12月17日 (日) 07:28 (UTC)[返信]
  • 井上文則 (2015). 軍人皇帝の古代ローマ 変貌する元老院と帝国の興亡. 講談社. ISBN 978-4-06-258602-3 
  1. ^ 井上 2015, pp. 19–23.
  2. ^ 井上 2015, pp. 197–199.