ノート:武家屋敷

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冒頭に、

>武家屋敷(ぶけやしき)は(主に近世に)武士が構えた住まい。ここで説明される武家屋敷は、正しくは侍屋敷という。「武家屋敷」とは本来、大名屋敷を指して言う。

と、ありますが、少しややこしくはないでしょうか?
項目は武家屋敷であるので侍屋敷を新しく造って現在の記述を移転し、正しい武家屋敷には大名屋敷についてを記述するべきではないでしょうか。--ムカイ 2007年10月26日 (金) 13:34 (UTC)

藩邸[編集]

この項目の別に、藩邸という項目が出来ていました。--Tak1701d 2008年3月21日 (金) 00:41 (UTC)[返信]

情報を頂き、ありがとうございます。大名屋敷について執筆いたしましたムカイと申します。

私が、大名屋敷について執筆したのが、藩邸よりも後の事のようですので、通常は、藩邸へ統合とするのが好ましいと思われますが、武家屋敷の本来の意味が大名屋敷のことであるとされていますので、これに侍屋敷の事を書かれていては混乱することも考えられます。以下のような統合方法を考えてみました。

  1. 武家屋敷から、侍屋敷の記述を分け、藩邸と武家屋敷を統合。
  2. 武家屋敷を侍屋敷に順じた名称に改め、藩邸へ大名屋敷の記述を統合。
  3. 現在の武家屋敷という名称には侍屋敷の意味も含めていることが多いため、読者の利便性からそれを採用し、全て(この場合は藩邸を武家屋敷へ)を統合。

方法は他にもあるとは思われますので、ぜひご意見をいただきたいと思います。--ムカイ 2008年3月22日 (土) 14:43 (UTC)[返信]

私は、2番のように武家屋敷(侍屋敷)から大名屋敷を独立させて、大名屋敷に藩邸の記述を統合するほうが良いと思います。--Tak1701d 2008年3月22日 (土) 22:31 (UTC)[返信]

ありがとうございます。では、まずは、武家屋敷から大名屋敷の記述を分割することを提案いたします。--ムカイ 2008年3月23日 (日) 01:51 (UTC)[返信]


「大名屋敷」の分割提案[編集]

武家屋敷に記述されている大名屋敷の記事を分割し新たに大名屋敷という独立した記事の作成を提案しております。

分割の理由としては、前節に述べられている通りです。この作業は、記述の統合の一つの過程として考えており、次に、武家屋敷の改名大名屋敷の記述と藩邸の統合を行っていきたいと考えておりますので、ぜひ、ご意見をいただきたいと思います。--ムカイ 2008年3月23日 (日) 01:51 (UTC)[返信]

  • 言葉足らずで申し訳ありません。国語辞書には武家屋敷と大名屋敷の言葉が記載されていますし、この二つの言葉で検索する人が多いと思うからです。--Tak1701d 2008年3月24日 (月) 00:03 (UTC)[返信]
  • 私も、そういった読者への配慮はすべきと思いますが、読者の利便を考慮することにより、言葉の意味の正確さを欠いてしまうことは避けるべきで、本来の意味も考慮すべきとも考えております。

(出典:三浦正幸『城のつくり方図典』小学館 2005年 200頁 侍屋敷と呼ばれるものであるが、最近はこれを誤って武家屋敷と呼んでいる。武家屋敷は大名屋敷のことで…とのことより。)

それを踏まえれば、3の方法で統合をすすめるという考え方もできます。--ムカイ 2008年3月24日 (月) 14:54 (UTC)[返信]

  • 無理に分割をするよりも、3の方法で統合するのが良いかもしれません。藩邸に関しても、大名屋敷と微妙に違いがあるかもしれない(江戸藩邸とか)ので、ノート:藩邸でも議論したらいかがでしょうか?もっと多くの意見が聞きたいですね。--Tak1701d 2008年3月25日 (火) 10:42 (UTC)[返信]

参考になるかな、と思って調べてみました。

  • 小学館『日本大百科全書』と平凡社『世界大百科事典』は、「大名屋敷」と「武家屋敷」の項目があります(「侍屋敷」「藩邸」はありません)。小学館の方の「武家屋敷」は軽く大名屋敷に触れているだけで主にそれ以外のものに関する解説となっています。平凡社の方の「武家屋敷」は、大名屋敷とそれ以外が半々ですが、「大名屋敷」に比べると簡略な内容です。双方とも「大名屋敷」の項目では、江戸藩邸だけを扱っています。それ以外の藩邸に関する記述はどこにも見つかりませんでした。
  • 吉川弘文館『国史大辞典』と河出書房新社『日本歴史大辞典』は、「大名屋敷」の項目のみです。こちらも、江戸藩邸だけです。
  • 追川吉生著『江戸のなりたち[1]江戸城・大名屋敷』『江戸のなりたち[2]武家屋敷・町屋』(新泉社、2007年)という書籍があって、2巻の「武家屋敷」というのは旗本・御家人屋敷のことを指しています。
  • 宮崎勝美・吉田伸之編『武家屋敷―空間と社会』(山川出版社、1994年)では、江戸藩邸がほとんどで(「抱屋敷」は江戸藩邸に入れていいのかな?)、他に、京の藩邸と豊臣時代の大坂の武家屋敷の論文が収録されてます。

項目として「武家屋敷」と「大名屋敷」は最低限欲しいところですが、もっと分量が増えてから分割するというのもありだと思います。「藩邸」が悩みどころです。江戸藩邸が「大名屋敷」なのは分かるのですが、大坂や京の藩邸は「大名屋敷」の定義に入るのでしょうか? 入らないのであれば「藩邸」の記事がある方がよいと思います。入るのであれば、やはり「大名屋敷」へのリダイレクトでしょうかね。--oxhop 2008年3月25日 (火) 13:30 (UTC)[返信]

こんにちは。Oxhopさん大変貴重な情報をありがとうございます。参考にさせていただきます。
大坂や京の藩邸は「大名屋敷」の定義に入るかとのことですが、藩という言葉が、明治以降に公称されたことを考えますと、「藩邸」は俗称や造語として生まれたものとも考えられます。また、三浦正幸『城のつくり方図典』小学館 2005年 200頁 には、武家屋敷は大名屋敷のことで、大名家が江戸や京都に設けた広大な屋敷をいう。とあるので、大坂や京都のものも大名家が設けたものであれば大名屋敷・武家屋敷であるということだとおもわれます。
Tak1701dさんアドバイスありがとうございます。前節の3の方法によって(武家屋敷と藩邸の)統合をすすめてまいりたいと思いますが、まずは、ここでの、藩邸・大名屋敷とは何であるかについて結論をいただきたいと思います。これについての同意が得られてから、藩邸へ統合を持ちかけてみたいと思います。--ムカイ 2008年3月28日 (金) 12:28 (UTC)[返信]

今回は色々と勉強させていただきました。私はこの項目へ藩邸を統合しても差し支えないと思います。後は藩邸の筆者の同意が必要ですね。--Tak1701d 2008年3月28日 (金) 13:52 (UTC)[返信]

Tak1701dさん、Oxhopさんご意見ありがとうございました。ここで、一旦この提案については締めたいと思います。次に統合に関するお話し合いを藩邸を交えまして、行いたいと思います。

(要約)本提案、武家屋敷に記述されている大名屋敷の記事を分割し新たに大名屋敷という独立した記事の作成、は、読者の利便性を考慮し、武家屋敷という名称の変更を行わないほうがよいという意見より、分割の取りやめをいたします。

統合方法、2.「武家屋敷を侍屋敷に順じた名称に改め、藩邸へ大名屋敷の記述を統合」を同意を得た上に、断念をし、統合方法、3.「現在の武家屋敷という名称には侍屋敷の意味も含めていることが多いため、読者の利便性からそれを採用し、全て(この場合は藩邸を武家屋敷へ)を統合」によって、統合をすすめることにより同意を得られましたので、武家屋敷へ藩邸の記述を統合する提案へ移ります。 --ムカイ 2008年3月30日 (日) 10:37 (UTC)[返信]


統合提案[編集]

武家屋敷の大名屋敷と藩邸の記述がほぼ同じ内容のものであることにより、藩邸武家屋敷の統合を提案いたします。これに至った経緯は、統合提案以前の節を参照してください。今回の統合提案は、できれば、武家屋敷へ藩邸を統合としたいと思います。しかし、こちらを執筆された方とのお話し合いを行っていないことを考慮いたし、本文へのテンプレートをどちらへの統合であるとの明確ではないものとしております。ご意見、議論はこちらにてお願いいたします。--ムカイ 2008年3月30日 (日) 14:08 (UTC)[返信]

どなたからもございませんでしたので、同意が得られたものとして統合を行います。--ムカイ 2008年4月9日 (水) 14:19 (UTC)[返信]

一応、覚書程度に留めておきますが、中国の晩唐期に都長安に設置された藩鎮(節度使)の屋敷(実態は出先機関)のことも「藩邸」と称したようです。--水野白楓 2008年6月27日 (金) 16:28 (UTC)[返信]

江戸藩邸[編集]

新たに江戸藩邸という記事を作成しました。当初はこの武家屋敷に加筆予定だったのですが、文章が想定より多くなったので独立記事としました。同時に「江戸屋敷」「上屋敷」「中屋敷」「下屋敷」を江戸藩邸へのリダイレクトに。加えて「大名屋敷」の項目が百科事典にないのは不自然と考えたため、武家屋敷へのリダイレクトとして作成しました。ご報告まで。--垂耳犬 2008年5月9日 (金) 19:19 (UTC)[返信]