ノート:歌川芳升

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当項目歌川芳升の出典(参考文献)についてですが、『原色浮世絵大百科事典』第二巻132頁に歌川芳升の項があり、作画期や画号、画系などその記述内容に沿っています。ただし『敵鰹差身之業物』については作例として取り上げてはおらず、これは歌川芳宗の項に「芳虎・芳升と共画」とあります(105頁)。要するに出典(参考文献)としては、『原色浮世絵大百科事典』第二巻のみで足りています。

なお132頁には歌川芳升の作として明治10年「筑前国天木町の暴党記」があげられていますが、早稲田大学古典籍総合データベースには、この絵の作者が「永嶌孟斎」すなわち歌川芳虎とされ、実際の画像を見ても落款は「永嶌孟斎画」とあります[1]。どうも『原色浮世絵大百科事典』の記述にはなんらかの間違いがあるようで、以前それに気づいて除去したのですが[2]、再び書きこまれました[3]。しかし作者についてこのような齟齬がある以上、やはり歌川芳升の作として取り上げるべきではないと思います。--ものぐさたろう会話2017年7月4日 (火) 03:18 (UTC)[返信]

編集しました。ただし出典(参考文献)は『浮世絵師伝』に替えました。これは『原色浮世絵大百科事典』第二巻の記述が上で述べた「筑前国天木町の暴党記」を歌川芳升作としていること、また作画期を天保〜明治10年代としていますが、「明治10年代」が「筑前国天木町の暴党記」に基づいている可能性があることによります。『敵鰹差身之業物』については『浮世絵師伝』も取り上げていませんが、国立国会図書館デジタルコレクションに画像があるのでそれをリンク付けしました[4]。最終丁(28コマ目)に「国芳門人 芳宗 芳虎 芳升画」とあります。--ものぐさたろう会話2017年7月12日 (水) 00:19 (UTC)[返信]