ノート:横沢三郎

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  • 東京倶楽部時代、合間に東京六大学野球の審判を勤めていた経験を活かしプロ野球審判に転向。

の箇所、『野球殿堂 2007』野球体育博物館 ベースボール・マガジン社 p90 の記載だと 「東京六大学リーグの専属審判員となり、7年間務めるかたわら、東京倶楽部の内野手として活躍」とあるので これは逆と思われる。どのくらいの給料が払われたか分からないが、東京六大学野球の審判が本業で東京倶楽部が合間と思う。しかし六大学の試合も年にそうたくさん無いと思うが、他にも仕事があったのだろうか。--202.225.65.177 2008年1月16日 (水) 15:29 (UTC)[返信]