ノート:森成利

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森蘭丸という名称は歴史的事実として正しくないので、項目名を森成利、または森乱丸に変更することを提案しますが如何でしょうか。KASAGI 2006年11月25日 (土) 09:33 (UTC)[返信]

歴史的事実としては正しくないとしても、現在それが広まってほとんどこの表記で整っているのですから改名することはないでしょう。兼好が吉田兼好で通っているのと同じ理由です。--DOERAX 2006年12月18日 (月) 13:11 (UTC)[返信]
広まっているのは確かですが、それが間違っているなら是正する必要があるのではないですか。少なくとも、研究者の間では蘭丸とは使わなくなっています。真田幸村→信繁、織田信行→信勝のように、一旦誤用が広まっても、現在では正しい表記が浸透してきたものもあります。--KASAGI 2007年1月21日 (日) 02:37 (UTC)[返信]

歴史的事実として正しくないとしても一般知識としては間違いではないので訂正する必要はなし。どうしても載せたければ別途として書き加えたらよろしいんでは?--124.103.152.142 2007年4月7日 (土) 10:07 (UTC)[返信]

これは百科事典であり、正しい事実が優先されるのが当然だと思いますが?その一般知識が誤っているということを言っているんでしょう。--KASAGI 2007年4月15日 (日) 13:47 (UTC)[返信]

反論がないようなので変更しました。--KASAGI 2007年5月22日 (火) 12:37 (UTC)[返信]

逆に「百科事典」だからこそ、俗説や巷談的な要素も必要だと思います。ですがこの項目の本文中にはちゃんと解説もあり、「森蘭丸」からの飛びリンクもあるので、これは大変適切な処置だと思います。-- 寒 2007年5月22日

まず、森成利が正式名称であることが個人サイト二つ以外にない、正式名称であること=採用理由であるが、記事を見る限り、諱が成利であるが、各文献には「乱」も多いにもかかわらず成利とした理由の根拠、18で死んだ人間の名前、蘭丸、乱丸を幼名として却下する根拠全てに答えがない。諱と本名の混同により生存時に使われた名称、つまり本名が諱と同一とする錯誤がある。本名が不明、またはこの記事の人物のように名称が多数見られる場合において、仮定として諱に用いられている名称が本名ではないかとする場合があるが、断定されるわけではない。

Wikipedia:検証可能性

2 「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」

Wikipedia:記事名の付け方

1 記事名を付けるには

・認知度が高い

・首尾一貫している

2 正式名称

森成利は、認知度が低く、首尾一貫しておらず、正式名称かどうか不明。

このため、冒頭文に両論併記に変更する。

60.71.109.133 2012年9月17日 (月) 20:16 (UTC)[返信]

文書における署名が成利であることは谷口克広の『織田信長人名辞典』にも書いてあります。『朝日日本歴史人物事典』により詳しく書いてありますが、「金剛寺文書」における署名で、この文書は文末にも挙げられている奥野高広『新訂増補/織田信長文書の研究』に載せられています。--立花左近会話2012年9月18日 (火) 17:59 (UTC)[返信]

「金剛寺文書」における署名で森乱成利と書いてあり、森成利と書いてない。「金剛寺文書」における署名を根拠にする今の人が、森成利と歪曲している。よって、署名に森成利がある根拠は未だに示されておらず、現状の記事名は不適切。森乱成利を記事名とし、一般的には森蘭丸で知られ、諱を森成利とするという説明をつけることが正しい。126.10.206.84 2012年10月23日 (火) 18:30 (UTC)[返信]

金剛寺文書の自筆書状ですが、森乱と書いて、改行して日付、成利、花押を書いているものと、日付、森乱と書いて、改行して成利、花押を書いているものとがあります。このうち森は苗字で、諱が成利、乱は通称とみるべきと思います。今の記事冒頭には「森 乱成利」と、森と乱成利の間にスペースがあって、乱成利が一つの名前のように見えてしまいますが、これは金剛寺文書の書状の書き方からいっても適切ではないと思います。また、記事名としては「森乱」という選択肢はあっても、「森乱成利」はないと思います。
ところで126.10.206.84さんは、60.71.109.133さんと同じ方ですか、別の方ですか? 分かりにくいのでアカウントを取得してはいただけませんか?--立花左近会話2012年10月23日 (火) 23:46 (UTC)[返信]

Wikipedia:ページの改名 明らかに、ページ名が記事名の付け方のガイドラインに沿っていないときでもないのに改名提案の告知もなく移動をしたのはなぜでしょう。移動前のページ名である森蘭丸に戻し、改名提案の告知を行うことを求めます。157.65.50.15 2014年12月4日 (木) 21:39 (UTC)[返信]

1996年のNHK大河ドラマ「秀吉」での松岡昌宏を追加。--立花左近 2012年10月23日 (火) 23:46 (UTC)-ノート履歴に従って投稿者並びに投稿時間を追記。--202.165.119.56 2016年10月8日 (土) 09:05 (UTC)[返信]

フィクション作品において、信長との同性愛的な設定を付与される事が多いのですが、そういった補足説明がまったく無いのが気になります。沖田総司は美青年ではなかった、一休のとんちは後世の創作、といった事は書かれていますよね。(--180.46.211.254 2013年10月15日 (火) 08:39 (UTC))[返信]

そうですね。森蘭丸は「美少年だった」とする記録は一切ありません。「美少年と伝わる」という記述はどこから出たものなのか気になります。信長が乱丸を寵愛したのは美少年だからではなく本人が優秀だったのはもちろんですが森家への恩義があったからでしょう。--122.25.117.114 2015年1月16日 (金) 07:32 (UTC)[返信]

-ノート履歴に従って投稿者並びに投稿時間を追記。--202.165.119.56 2016年10月8日 (土) 09:05 (UTC)[返信]

出典について[編集]

泉秀樹『戦国なるほど人物事典』(PHP研究所、2003年)が出典として挙げられていますが、当該書(文庫版・単行本ともに)には殆ど古文書・文献の書名すら明記されておりません(巻数や段落、章、節はもとより)。かかる「お手軽本」を出典として記すこと自体、記述の信憑性を疑われ兼ねません。例えば、信長が側近や諸大名に三つの自慢できるものがあるといった、云々の史話の典拠となる書物・文献は何という作品なのでしょうか?どなたかお詳しい方、よろしく御教示下さい。史料たり得る古文献の題名や、出典箇所を明記してはじめて信用できる内容になるのではないでしょうか?向後は、こうした順当な記載を心懸けて頂きたいものです。妄言多謝。--Hadrianvs et antinovs 2016年9月26日 (月) 06:28 (UTC)-ノート履歴に従って投稿者並びに投稿時間を追記。--202.165.119.56 2016年10月8日 (土) 09:05 (UTC)[返信]