ノート:棋聖 (囲碁)

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

現在、囲碁で棋聖と言った場合は江戸の三人を指すのが普通であり、寛蓮はあくまで「古い話では・・・」と前置きが付いてのことでしかありません。「主に」という接頭語が付いた文章で取り上げるべきとは思えません。--らりた 2008年8月1日 (金) 13:21 (UTC)[返信]

らりたさんの意見に同意します。「主に」が付かなくても「使われることが多く」という文章に記載するのも不適切と思います。--Sugitaro 2008年8月1日 (金) 13:59 (UTC)[返信]


本文は、日本棋院の公式サイトの記述を下に、ソース呈示の上、修正しました。
言い分があるのでしたら、ぜひぜひ日本棋院に対しても、抗議されて下さい。
  >現在、囲碁で棋聖と言った場合は江戸の三人を指すのが普通であり、
  >寛蓮はあくまで「古い話では・・・」と前置きが付いてのことでしかありません。
という表現に対しては、貴殿から頂いた次の文言をそっくり御返却しておきます。
  >独自の研究を通り越して、単なる個人的感想に過ぎません。
  >個人的感想はウィキペディアには必要ありません
碁聖・寛蓮を顕彰して、九州では「祐徳本因坊戦」という大きな大会が毎年行われていることも付記しておきます。--Coffeebrain 2008年8月1日 (金) 15:49 (UTC)[返信]
(コメント)
囲碁に造詣の深い方々にとっては釈迦に説法ではあるかと思われますが、古典に拠って「棋聖」を寛蓮の尊称とする際に留意すべきと考えられる事についてコメントさせて頂きます。
『源氏物語』第53帖「手習」で「棋聖大徳」とよばれる人物は、同書の注釈書たる『河海抄』や『花鳥余情』において「碁勢大徳、肥前掾橘良利、法名寛蓮子」(『河海抄』)とあり、これが「棋聖」を寛蓮の尊称とする根拠のひとつとされるようです。
他方、『今昔物語集』巻24・「碁擲寛蓮、碁擲女に値ふ語」第6では「碁勢寛蓮と云ふ二人の僧」がともに囲碁の腕前で鳴らしたとされ、『古今著聞集』巻12・博奕第18でも延喜4年9月24日、寛蓮が召されて囲碁を打ったのと「同じ御時」に碁勢が御前で囲碁を打ったとあります(未見ながら『西宮記』臨時8・臨時宴遊にも同様の記事があるようです)。
確かに『河海抄』・『花鳥余情』は、寛蓮が「碁勢」すなわち「碁聖」さらに「棋聖」と尊称される事につき一定の根拠となるでしょう。しかし、これらの注釈書は『今昔物語集』・『古今著聞集』が「碁勢」を寛蓮とは別異の人名としている事を完全に克服し得るのでしょうか。
この問題につき既に学術的に解決されたか否かは寡聞にして存じませんが、卑見では『今昔物語集』・『古今著聞集』当該箇所の存在は『源氏物語』及びその注釈書を根拠として「棋聖」の語を寛蓮の尊称とする事の可否につき一定の影響を与えると考えます。この事は寛蓮の項目が将来立てられた際にも改めて論じられるべきと思われます。
また、本項目の現状は寛蓮が「棋聖」と尊称される事につき『今昔物語集』が根拠を与えているように読み取れる点でも問題があるように思われ、本項目で寛蓮を「棋聖」とする事につき合意が形成された場合にも誤読を避ける工夫がなされて然るべきと考えます。
なお、以上の文献から離れた上で寛蓮を「棋聖」と尊称する事の可否については特に意見はない旨付言します。--Сорасоуё 2008年8月2日 (土) 05:50 (UTC)[返信]

Сорасоуёさんのコメント参考になります。ありがとうございます。ここいらの厳密な考証を行った文献を僕も知りませんので、知られている文献の範囲内で記載するよりないかと思います。△とりあえず現在の記事は、寛蓮に関して重複した記述になっているので整理した方がよく、前半によく用いられる一般的な棋聖像、後半に少数に知られる棋聖像としてはどうかと思いますが、いかがでしょうか>皆様。△日本棋院サイトについてですが、日本棋院は学術団体ではないので、その文献としての評価には多少の留保をした方がよいと考えます(僕もよく参照しますが)。特に子供向けに簡略化した記述は、その元の文献があればそちらも参照した方がいいと思います。日本棋院に対しては特に抗議等する必要はなく、単に我々は評価すればいいだけでしょう。--Sugitaro 2008年8月2日 (土) 11:29 (UTC)[返信]

>前半によく用いられる一般的な棋聖像、後半に少数に知られる棋聖像
私もそれに賛成します。--らりた 2008年8月4日 (月) 09:09 (UTC)[返信]
(1)補足しますと、棋譜が残されていてその技量から後世まで聖と仰がれている道策らと、棋聖と称されたことが文献として残っているだけの寛蓮を同列に記述するのは違和感がありますし、そのように扱った文献も無いのではないでしょうか。(2)碁聖が棋聖とほぼ同義なのは一般に言われていることで、これに出典は不要ではないでしょうか。--Sugitaro 2008年8月5日 (火) 15:30 (UTC)[返信]

ノート:碁聖で「碁聖と呼ばれた人物」へのコメントをしています。 10日ほど経ちましたが意見がないので、月末(GW)まで意見がなければ 以下の方針で編集したいと思います。
・「棋聖と呼ばれた人物について」の「について」を除去。
・「棋聖と呼ばれた人物」から寛蓮を除去。
 棋聖は国際的な説明、碁聖は日本に限定した説明であり、  寛蓮を最初に碁聖と呼ばれた人とする文献はあっても、寛蓮の棋力を推し量る資料は見当たらないため。  碁聖の方の寛蓮の説明は残します。
碁聖の方の「碁聖と呼ばれた人物」に本因坊道知を追加。
--塚本惠一 2010年4月15日 (木) 20:55 (UTC)[返信]

上記の方針に沿って編集しました。--塚本惠一 2010年5月3日 (月) 11:34 (UTC)[返信]