ノート:桓公 (斉)

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本名である姜小白と諡であるこの記事名とどちらに吸収させるべきか、意見をお願いします。らりた 2004年8月2日 (月) 12:17 (UTC)[返信]

専門外ですが、ゆえに一言。
「斉の桓公」が『史記』を初めとする史書で呼び慣らされてるものですよね。ならばそちらでいきましょうよ。中国では人民共和国成立以降、皇帝や王を名前で呼ぶ流れがありますが(cf.中国語ウィキ参照)、日本がそれに乗ることはありません。
別の面から言えば、必ずしも専門じゃないけど少し知ってるくらいの私みたいな人間(たくさんいるはず)からすれば、姜小白ってどなたさん?ってことになりますよ。事典という性質上、「一番知られている名」を項目名にすることも重要かと。
<蛇足>項羽も、司馬遷がせっかく『項羽本紀』と名づけたようにその呼び名が定着してるんだし、項籍はやめません?--Aboshi 2004年8月3日 (火) 15:01 (UTC)[返信]

まず、去年の末頃に「文公」・「桓公」という名前の記事で最初に重耳と小白についての記事ができました。ですが、文公や桓公と諡のついた人はたくさんいるので、このままではまずいということになりました。(ノート:文公ノート:桓公参照)結局、「文公」を「姫重耳」に移動させ、「文公」の記事は曖昧さ回避のページにしました1。「桓公」と「姜小白」についてもほぼ同様です。

さて、何故、私は文公を「姫重耳」に移動させたのでしょうか。そして、なぜ文公 (晋)に移動させなかったのでしょうか。(桓公のノートのページなのに、文公の話になってしまってすみません。ですが、問題の本質は同じ物ですので。)魯の文公は二人います。それゆえに文公 (魯)とすると、区別がつかなくなるであろうと考え、「姓+名」で表記することにしました。また、斉の桓公も二人います。それで苦肉の策で「姓+名」で記事名をつけるようにしました。

ただそういう方向にもっていった私も違和感を感じているのでうまい方法があればそちらのほうに乗り換えても良いかもしれません。今、考えられるのは、山手線方式でしょうか。桓公 (斉)に姜小白について書き、記事の冒頭に、田斉の桓公は田午を参照とするなど。Auf 2004年8月5日 (木) 09:45 (UTC)[返信]

PS:この記事で問題となっている人物を事典を引こうという人がどんなキーワードで検索するかを考えてみました。例えば歴史小説を読んでいてこの人のことを調べたいというと、おそらく「桓公」で検索するでしょう。あるいは「小白」にてでしょうか。「小白」で検索するとリダイレクトページにつきあたり、うまく姜小白さんについての記事に飛ばされるでしょう。ただ、桓公で検索すると桓公のページに跳ばされて、自分の求める桓公はどの桓公なんじゃ! ということになりかねませんが。
項羽・項籍の問題も、利用者の立場からすれば、どうせリダイレクトで飛ばされるから同じで(少し語弊がありますが、)どうでもいいと感じています。Auf 2004年8月5日 (木) 09:58 (UTC)[返信]
桓公 (斉)への統合でよろしいでしょうか。とりあえずあと一日待ってみます。田斉の桓公は桓公 (田斉)と言うやり方がありますが、どうでしょう。ただ正直に言って田斉の桓公を書く機会があるかなぁ・百科事典としてどうなんだろうと思わなくも無いです。まあ、戦国武将も大量投稿されてるみたいですから良いのかな?らりた 2004年8月12日 (木) 14:33 (UTC)[返信]

姜小白[1]の版から桓公 (斉)この版へ記述を移し、一部を改変して統合しました。統合の仕方に問題がある場合は意見をお願いします。もちろん加筆も歓迎です。らりた 2004年8月13日 (金) 13:17 (UTC)[返信]