ノート:桐生悠々

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「廃刊の辞」というところで引用を行っています。1941年の物故者であり問題はないのでは、と考えてのことですが、もし著作権的に問題があるようなら改稿します。どなたかご意見を下されば幸いです。--にごう 2005年7月19日 (火) 02:44 (UTC)[返信]


穂積八束に師事?[編集]

2005年7月19日 (火) 02:43 の初版以来「穂積八束に学ぶ」となっているのですが、『畜生道の地球』(中公文庫版)の年譜によれば大学院入学後、穂積陳重の下で研究したとなっています。事実関係を確認したく思います。出典わかりましたら教えてください。赤い飛行船 2007年4月14日 (土) 14:43 (UTC)[返信]

初版を執筆したものです。浅読みに基づく記述をご指摘くださり、汗顔の極みです。いま井出孫六『抵抗の新聞人 桐生悠々』岩波新書(ISBN 4-0042-0123-3)を改めて見ますと;
  • 帝大法科在学中の1895年-99年に聴講していたのは穂積八束(弟)の憲法学だったらしい(p.51)
  • 大学院に席を置いた時期(1901-02年あたりか?)に指導教官としたのは陳重(兄)だったらしい(p.57)
ですから、
  • 「師事」という言葉を生かすなら「東京法科大学政治学科に入学、後に大学院では穂積陳重に師事する」
  • 帝大法科時代というにこだわるなら「穂積八束、一木喜徳郎を聴講する」
とすればよいと思われます。いずれにせよ、何らかの改稿が必要ですね。--にごう 2007年4月14日 (土) 23:11 (UTC)[返信]
早速回答いただきありがとうございます。にごうさんの初稿が素晴らしかったので秀逸な記事に推薦させていただいたのですが、私が留守にしていた2年余の間に『ウィキペディア』のレベルが著しく向上していまして、要加筆ということになっています。行きがかり上、加筆せねばならないと思いまして本文を含めて資料を読み込んでいるところです。さて、問い合わせさせていただいた件ですが、井出孫六『抵抗の新聞人 桐生悠々』が出典でしたか。私も昨晩から読み始めたところです。かなり取材しているようで使えそうな本だと思っています。「穂積八束、一木喜徳郎に学ぶ」との表現は当分このままにしておこうと思います。穂積八束に学んだのは間違いないようですし、大学院時代に穂積陳重に指導を仰いだことも事実のようですから。ただ、もっといろいろ資料を見ていくうちにもっといい表現が見つけられたなら変更することにします。赤い飛行船 2007年4月15日 (日) 02:42 (UTC)[返信]