ノート:栗崎道有/削除

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百楽天さま、

>参考文献:『忠臣蔵で江戸を探る脳を探る』(平成10~11年・月刊TOWN-NET・百楽天)

とありますが、これは御自分の著書からの転載と云ふことでせうか。編集ページの下にも書かれてゐますが、Wikipediaに投稿された文書は、全てGFDLによつて発行されたものと看做されます。改変も転載も商用利用も自由と云ふことになるのですが、これを諒承した上での投稿なのでせうか。もし諒承されてゐないのでしたら、このページを削除依頼に出した上で、今後自著からの転載はなさらないやうに御願ひします。nnh 13:45 2004年4月2日 (UTC)



nnhさま、

お気遣いいただき、ありがとうございます。 「参考文献」を書いたのは、転載や引用が難しいということからです。

忠臣蔵関係の本の数は膨大なもので、とくにNHKの大河ドラマがあったりすると、それを当て込んだものが短期間のうちに大量にでます。 平成11年の「元禄繚乱」のときでさえ、110冊を超えました。

しかし、99パーセントといっていいほど孫引きで、著者に出典を訊いてもほとんど答えることができない。そんな状態です。 宮本武蔵にしても、吉川英治の小説しか知らないような人の著作が、いくつもありました。

私が自分の書いたものを参考文献にあげたのは、根本資料から調査検討したものがほとんどなので、問われたときには出典を明らかにすることができるからです。 また、オリジナルの説でも参考資料(当時の日記や地図、公文書)によって説明が可能だからです。 ですから、引用も転載もなく、「改変も転載も商用利用も自由」は承知の上です。

併記した「常憲院殿御実記」は、ふつう「徳川実記」と総称されるもののうち、五代将軍綱吉の代について書かれたものです。これは公文書や日記などに基づいて後世になってまとめられたもので、史実に反する部分もありますが、それぞれの記事の出典から見直せば、史実としてみていいものと、俗説を書いたものの違いはおよそわかってきます。

もうひとつ。外部サイトからの転載とされたもののうち、十数年前にほとんど同じ文章で私が雑誌に寄稿したものもありました。 転載元であるとされたサイトに書かれてあることが、大辞林の文章とほとんど同じであった、ということもあります。 この件については、古語に関する辞典類など、何冊か調べてみました。厳しく言われれば、ほかの辞書からの転載だとされる部分もあります。 とくに注釈のような形で短く書くものについては、注意が必要だと感じた次第です。

ありがとうございました。

利用者:百楽天