ノート:松倉重政

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出典不明箇所の削除について[編集]

「松倉重政が宣教師の遺書に涙した」という箇所について執筆者のポテンシャル0氏に出典を尋ねたところ、「肥前有馬一族」にあるとの返答があり、同書をすべて読んで確認しましたが、p293に「1616年、大和五条城主松倉重政が日野江城城主となった。彼はキリシタンに対する激しい弾圧、島原城の築城とそれに伴う凶作を顧みぬ厳しい収奪から寛永十四年十一月島原の乱が勃発した。翌年二月末に至るまで三万数千の教徒が十二万の幕府軍を相手に原城に立て籠もって抵抗した。この乱の鎮圧後、重政の子勝家は乱の責任を問われて斬首、知行改易にあった。」とあるのみで当該の記述を発見できませんでした。いったん記述を削除しますが、もし出典が示された場合は復帰していただきたいと思います。Gakuinryou 2012年2月26日 (日) 08:33 (UTC)[返信]