ノート:東京行幸

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統合提案[編集]

東京奠都は東京行幸の一部にあたりますが、記事では東京奠都の項目で東京行幸の内容もカバーできていますので、東京奠都の記事を軸に両者を統合して、記事名を当時の記録に見られる「車駕東幸」としたいと思います。--Ganman 2008年6月2日 (月) 20:48 (UTC)[返信]

反対です。現在通用していない語を記事名にすべきではないと思います。--俊平太郎 2008年6月14日 (土) 05:13 (UTC)[返信]

追記:Wikipedia:記事名の付け方を参照してください。

>記事の題名は、まず何よりも「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」である必要があります。

>歴史的事件 出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。

これに照らすと「車駕東幸」はもちろん「東京奠都」すら問題があると思います。一般的には「東京遷都」ですから。--俊平太郎 2008年6月14日 (土) 09:41 (UTC)[返信]

「東京遷都」は最も一般的用語ですが、正確性を欠くので使えません。そこを区別することが当該記事の有用性でもあります。もちろん「東京遷都」からも転送します。資料中では「東幸」の用例が多いのですが、ちょっとアッサリしすぎているとも思い、「天皇の」という意味も含めて「車駕東幸」と提案したのですが、むずかしい言葉というご指摘も確かです。「正式な名称を使うこと」という意味で法令上の言葉でいこうと思うのですが、ご指摘を酌んでこれまで通用している「東京行幸」のほうに一本化しようと思います。--Ganman 2008年6月14日 (土) 23:05 (UTC)[返信]

「東京遷都」では正確性を欠くということは一部論者が主張していますが、これが一般論とは思えません。これが一般論だと主張なさりたいのであれば、申し訳ありませんが、その出典をお示しいただけますか? --俊平太郎 2008年6月15日 (日) 01:36 (UTC)[返信]

追記します。例えば「鎌倉幕府」の同時代用語は「鎌倉殿」であり、「日露戦争」の日本側正式名称は「明治三十七八年戦役」ですが、「鎌倉幕府や日露戦争は正確性を欠くので使えません」などという議論は成り立ちません。くれぐれも、Wikipedia:記事名の付け方の「歴史的事件 出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」に従ってください。--俊平太郎 2008年6月15日 (日) 02:04 (UTC)[返信]

本件の研究自体が僅かなので正確性を欠くというのもそれ(岡部精一)によります。「遷都」の用語が両都体制を表わすには語弊があることも事実でしょう。近年になって「東京遷都」と言うことを主張されたのは佐々木克でしたが、これも以前の僅かな研究をひいて(「奠都」だったり「事実上の」などが付いて)普通に東京遷都と称されにくい事を前提に政府の在処をもって提起されているものです。「東京行幸」ならば制度上も事実上も一般論としても議論は無いところでしょう。「東京遷都」はよく使われる略称、別名、別表記などは記事名に使うのではなく、正式な記事名へのリダイレクト(転送)ページにしましょう。とあるように転送処理をすれば足りるでしょう。--Ganman 2008年6月15日 (日) 02:53 (UTC)[返信]
  • では日露戦争を正式名称の明治三十七八年戦役に変更しますか? 794年の平安遷都と呼ばれているものも、詔書に遷都を意味する文言は含まれておらず、定国都称号詔という名称も後世の編纂史書が名づけたものに過ぎませんので、詔書の内容に従って号曰平安京にしますか? 
ガイドラインの「よく使われる略称、別名、別表記などは記事名に使うのではなく、正式な記事名へのリダイレクト(転送)ページにしましょう。」は一般規定、「歴史的事件 出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」は特別規定であり、両者が矛盾する場合は特別規定が優先するというのが常識です(この常識に異論を挟まれると議論が成立しなくなります)。したがって「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」が優先します。
また、岡部精一など一部論者の主張をもとに、東京遷都では正確性を欠くと主張されても、検証可能性がありません。「遷都の用語が両都体制を表わすには語弊があることも事実」というのは貴方の見解であり、ウィキペディアは個人の見解を発表する場ではありません。
妥協点として、現代の日本史学者が使っている表現で最も多い表現で統一するというのではどうでしょうか。高等学校の日本史教科書等も含みます。何が多いかは私も現時点で知りません。
--俊平太郎 2008年6月15日 (日) 04:13 (UTC)[返信]
佐々木克『江戸が東京になった日』(2001)によれば、本件の主要な研究として岡部精一『東京奠都の真相』(1917)、文部省の『維新史』(1942)、佐々木克『志士と官僚』(2000)が具体的に挙げられていますが、『江戸が東京になった日』以外では『奠都』の語を採用していて、2書では遷都の語と比べて奠都だと論じているわけです。
とは言え奠都などという難しい言葉ですから仰りたい事は分かるのですが、「最も多い表現」というのは、教科書だけとっても戦後60年以上たっていて、論文なども含めると取りこぼしなどサンプルの取り方が実際には難しいのではないでしょうか。これに関しては当方全くお手上げです。また東京遷都にしたと仮定して「東京遷都は、東京に都を移して京都と2つの都にしたこと。」という様な記事になりますが、日本語的に危ういものを感じますが如何でしょう。都と区別して政府を移した(事実上の遷都)として扱うのでしょうか。また「東京行幸」統合のほうもどうなのでしょうか--Ganman 2008年6月15日 (日) 14:47 (UTC)[返信]
  • 現在の東京奠都のヘッドラインに即して
東京遷都(とうきょうせんと)は、明治維新のとき江戸が東京とされ、都として定められたこと。東京奠都とも事実上の東京遷都ともいう(用語については後述#奠都と遷都の語義参照)。
などとすれば何の問題もないと思われます。東京奠都のままでも一向に構いませんが。東京行幸は東京奠都(ないしは東京奠都)に統合してはどうでしょうか。--俊平太郎 2008年6月15日 (日) 15:07 (UTC)[返信]
東京奠都や遷都は言葉通りある一時点を指すことになるわけですが、東京行幸なら時間軸で経過を捉えるのに(特に奠都記事の「その後」項目は)適当だと思ったので東京行幸にまとめて加筆したほうがスッキリして良いかと思い提案しました。ある程度重複しても統合せずに東京奠都の記事の一部分だけを行幸のほうに移して行幸面・経過に重点を置いて記事を加筆してもいいかとも思ってますが。まとめるなら行幸のほうが良いと思っています。--Ganman 2008年6月16日 (月) 14:54 (UTC)[返信]
  • 私のイメージ(そしておそらく一般のイメージ)では
という感じがしますが。いずれにしても最も平凡な表現がいいと思いますよ。一番メジャーな山川出版社の日本史の教科書とかではどうでしょうかね。高校生はいないですか?--俊平太郎 2008年6月17日 (火) 15:19 (UTC)[返信]
例えば東京遷都(事実上)は太政官移転の明治2年とか、或いは京都の中央役所廃止の明治4年というふうに、奠都だとか遷都だとかの場合は何らかの一時点を示して論じられます。それに対して東京行幸は2度目の行幸の京都還幸の延期で特に終点がありません。そういうわけで奠都なり遷都なりも「東京行幸」の大枠のなかで納めやすいと思うわけです。
もともと「東京行幸」・「大坂行幸」をそれぞれ詳述するための提案で、奠都や遷都では書きにくいので、「東京行幸」(or東幸or車駕東幸)統合が合点いかないようなら現状の別立てでいいです。--Ganman 2008年6月18日 (水) 11:59 (UTC)[返信]
統合提案テンプレート除去

提案から少し日がたったので、ひとまず統合提案テンプレートを除去しました。とりあえずは、両項目を書き分けるように加筆します。--Ganman 2008年6月24日 (火) 16:38 (UTC)[返信]