ノート:村山たか

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「安政の大獄の際には京都にいる倒幕派の情報を江戸に送るスパイとなり大獄に大きく加担した。」との記述ですが、倒幕派よりも一橋派及び尊攘派という表現が妥当ではない でしょうか?

「尊王攘夷派の武士に捕らえられる」について[編集]

当時、京都の治安は幕府によっていたのですが、幕府側にあった彼女が、誰も助けもせず3日3晩も晒された事情が不可解です。出典を添え、事情の記述をお願いします(『花の生涯』とかに記述があるんでしょうか)。--Mtodo会話2024年1月14日 (日) 20:38 (UTC)[返信]

また、「死罪を免れた」とありますが、京都町奉行など公の沙汰であったということでしょうか?--Mtodo会話2024年1月14日 (日) 23:25 (UTC)[返信]
以上は「『三条河原に3日3晩晒された。』他について」というタイトルの下作成しました。ちょっと確認して、疑問内容が変わりましたので変更します。たびたび、主張を変えて申し訳ありません。
長野主膳のページを読むと、この頃、長野主膳が失脚・斬首されており、京都町奉行の沙汰の可能性があるとは思いますが、その場合、「京都町奉行の方針が、『公武合体(「尊王攘夷」が用語として妥当かは疑問)』よりに変わったため、遡って処罰された」ということなのでしょうか。長野主膳が失脚・斬首も彦根藩の事情なので、京都町奉行に直接の影響があるのも不可解です。--Mtodo会話2024年1月14日 (日) 23:45 (UTC)[返信]