ノート:杉浦喬也

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普勝社長辞任の経緯[編集]

田中康夫の「全日空は病んでいる」237頁以降によれば、普勝社長の辞任の経緯は、

  • 97/2 普勝社長、若狭名誉会長に辞意を二度もらす
  • 97/4 普勝社長が作成した後継人事案に対し杉浦会長が対案を提出。若狭、杉浦、普勝、長谷川副社長で検討を開始する。
  • 97/5/7 妥協案を普勝社長が提示、しかし合意に至らず。
  • 97/5/8 若狭と杉浦に普勝社長が再び辞意を告げる。
  • 97/5/8 普勝社長の辞意表明を受け、杉浦会長が役員人事の構想に着手。
  • 97/5/10 日経新聞朝刊に「普勝社長辞任へ」の記事が載る。
  • 97/5/13 次期社長候補として吉川氏が会見。普勝社長は欠席し、益本常務が「経営権と人事権は表裏一体。完全な人事権がないなら経営に責任をもてない」旨の普勝社長のコメントを代読。

以後、普勝社長の辞意の撤回などはされていないので、少なくとも、杉浦らが普勝社長の同意がない人事を提示したことに反発して辞任した、というような事情は読み取れません。ご参考まで。--EsCape The Fate会話2012年4月8日 (日) 07:33 (UTC)[返信]