ノート:本山哲

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F1参戦断念について[編集]

  • プロフィール欄に本山哲のF1参戦断念に関しての理由が書かれています。しかしその内容はあくまでも関係者やファンによる推測であって、本山自身が断念した理由を語ったことはなかったと思います。公式発表があった、本山がインタビュー、ブログ等で語っていたなど、その理由が紛れもない事実であればプロフィールに記載してもよいと思いますが、推測であれば具体的な内容はプロフィール欄には書くべきではないと思います。--Pakochan 2006年12月10日 (日) 11:44 (UTC)[返信]
(回答)事実を証明する方法については、本人らの証言に基づく方法と状況証拠を積み上げて証明するという方法が考えられます。今回の記事についてはその両面から記述しております。
本山自身が断念した理由を語ったことはなかったと思います。とのことですが、2004年2月10日に日産自動車本社にて開催されたモータースポーツ活動報告会において、本山自身がF1への取り組みについて語っており、(1)F1日本グランプリの縁でジョーダングランプリと交渉を行った事(それ以外のチームからの正式なオファーはなかった。)(2)条件面で折り合わなかったため(資金面・待遇面=ケースによっては第3ドライバーもありえた。競合ドライバーの存在)契約締結にいたらず、F1グランプリへの参戦は断念したとインタビューに答えております。概要については当時のモータースポーツ各誌にも掲載されました。また、2003年にはスペインのペレスにてルノーのテストを受けましたが不合格になった事実があります。そして当時の状況ですが、2003年において翌年度のドライバーラインナップはかなり早くから決定しており、本山哲が交渉していた2003年末には、ジョーダンとミナルディしか空きシートがありませんでした。日産のドライバーであった本山に対してトヨタやホンダがオファーを出す訳はなく、他のチームもルノーを除いては、テストドライブでさえ実績のない本山に対してオファーを出しませんでした。

本山哲について、彼がどのようなドライバーであるか記述するにはF1関連のことを記述する必要があり、関係者やファンの憶測に基づきこの項目を記載した訳ではありません。現行の記述構成が適切であると思われます。--月桂樹 2006年12月11日 (月) 14:54 (UTC)[返信]

(回答)回答ありがとうございます。本山のF1断念に関する情報については、より詳しく記載していただけましたので理解しました。しかし「F1断念」の記事を「プロフィール」欄に詳しく書くと、F1参入の条件などを記載することが必要になり、結果としてその記事が他と比較しても長くなったり、内容が本山と離れていったりするなど、文章のバランスがおかしくなると思ったからです。そういうことを考えると、プロフィール欄での「F1参戦&断念」に関してはシンプルな内容で押さえ、より詳しい内容は別項目で書くのが適当かと思っています。(履歴にあるとおり、私がF1参入の経緯を別項目にしたのはそのためです。)
月桂樹さんが上記に本稿の記事より、さらに詳しい記事を投稿してくださっています。私の意見としては、F1参戦については「実際2003年末から2004年初頭にかけて、ジョーダン・グランプリ等のF1の数チームと交渉を持つも契約締結には至らなかった。」程度の文章で終わり、詳細は別項目にて月桂樹さんのノートでの回答記事などを加えた、より詳しい記事を書くのがいいと思います。Pakochan 2006年12月17日 (日) 04:29 (UTC)[返信]