ノート:曽根崎心中

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ニコニコ動画[編集]

何度か削除<>追記を繰り返されているようなのですが、どうしましょうか。
さっき現物を見てきまして、ニコニコ動画の中では、それなりに大きなムーブメントとなったことは確認できましたが、ウィキペディアに掲載するには、ニコ動外部(可能なら、ネットニュースなどではなく新聞や雑誌などの紙媒体)で取り上げられたというような特筆性が必要かと思います(Wikipedia:特筆性Wikipedia:検証可能性)。記述を残したい方、新聞などで取り上げられた例をあげて頂けるとありがたいのですが。リバートをしている方のIPもバラバラですし、宣伝というのは私の勘違いだったようで、その点はこの場をお借りして訂正しておきます。ごめんなさい--Suguri F 2008年7月28日 (月) 18:56 (UTC)[返信]

その動画で曽根崎心中を知った人が多かったんじゃないの。俺はまったく編集に参加してないけど、その動画は知っている。IPがバラバラなのも複数の人が記述性を認めているからじゃないのかな。メジャーな動画サイトで再生回数の多いものは十分特筆すべき事項にあたると思うけどね。論争はしたくないのでこれ以上はコメントしないけど。--Afaz 2008年7月28日 (月) 19:41 (UTC)[返信]

言いたいことが伝わっていないらしく、文章力の不足、申し訳ない。「リバート合戦になりかけているので、特筆性についての確固たる出典になるものがあるなら、揉める前に掲載してね」というのが要旨です。
私個人は、自分のi-podにその作品を入れてるぐらい気に入っているんだけども、それでもsysopとしては最初の発言のような判断をせざるを得ないわけです。CD発売とか着メロ配信とか、せめてどこかの雑誌で紹介とかされるまで、ウィキペディアへの掲載は待てないもんでしょうか? 祭りが発生したら再生数なんて爆発するわけですし、ニコ動にしろYouTubeにしろ、再生数だけでメジャーかどうかをはかるのはムチャだと思います。(そもそも、ニコ動は会員制サイトなので、外部リンクの選び方から言ってもあまり読者にやさしくないし)--Suguri F 2008年8月5日 (火) 02:22 (UTC)[返信]

編集合戦となっていた時と状況が変わっている模様です。一応メジャーレーベルから発売のアルバムに収録と言う事で、特筆性の条件は満たしたと見ることが出来るのではないでしょうか?ご意見求めます。--究極の幻想 2009年10月15日 (木) 23:54 (UTC)[返信]

追記、ニコニコ動画に関係する部分以外は記述可能と判断し、記述しました。ニコニコ動画に関する部分のみは非表示状態です。--究極の幻想 2009年10月16日 (金) 00:12 (UTC)[返信]

わたしの編集が差し戻されていたので、再度編集いたしました。 このページは「曽根崎心中」に関して、簡潔にして要を得た記述をするべきです。 また、関連項目として列挙される内容は「曽根崎心中」の更なる理解のためにされるべきではないでしょうか?

まず、河下水希の漫画に関しては、あくまで「曽根崎心中」を初期設定のみ借りたラブコメディであり、本記事で言及する必要は薄いと考えます。 「河下水希」の記事に記述があれば十分でしょう。 ボーカロイドの件に関しては、さらに記述の必要性は薄いでしょう。どうしても書きたいのであれば「デッドボールP」の記事に書けばよい話です。 上のほうで「メジャーレーベルから出たから特筆性を満たした→掲載すべき」のような議論がありますが、そもそも「曽根崎心中」について知りたい人に音声合成ソフトのいち楽曲の情報を提供しなければいけない必然性は限りなく薄いと考えます。--Kinggainer 2009年12月18日 (金) 13:05 (UTC)[返信]

>「曽根崎心中」の更なる理解のためにされるべき
趣旨は理解できるのですが、そこで「他ジャンルの展開」において、“あくまで原典の純然たる人形浄瑠璃や歌舞伎の原作に忠実なメディアミックス”が、“曾根崎心中への理解が深まる事”の条件とするならば、この中では映画くらいしか当てはまらなくなるのではないでしょうか。そもそも"現代に蘇った""他ジャンルの展開"で、この中に列挙されている作品のみならず、原作にない要素が盛り込まれるのは古今東西の創作において至極当然の話であって、そこに客観性を堅持した“原作への理解が深まる事”の線引きをするのは到底困難です。フラメンコとロックが○で、漫画と音楽が×というのは、Kinggainerさんの主観的判断に過ぎず、少なくとも“特筆性”というWikipedia内で確立された判断基準よりもその客観性は下位に位置するものと考えます。
あくまで「曾根崎心中への理解が深まるもの」「記事自体の簡潔性」を目的とされるのであれば、この「他ジャンルの展開」というものを一切消去するか、タイトルを「曾根崎心中をモチーフにした作品」とでもして「現代に蘇った曾根崎心中」から切り離した再構成をするのが正しいと思います。この「現代に蘇った」の所がかかるというのが「これは…“蘇った”と言えるのか?」という様な混乱の一因とも考えます。--126.114.43.156 2009年12月20日 (日) 03:17 (UTC)[返信]
更なる理解の為にされるこれは単なる自己満足です。宇崎竜童氏の楽曲やフラメンコが平然と載せられている以上、漫画、ボーカロイドだからと削除するのは意図的な選別です。百科事典としての中立性に反しています。126.114.43.156氏の復活公演以外を現代に蘇った曾根崎心中から切り離す事に賛成します。取りあえず、デッドボールPの楽曲、漫画のみを削る事は中立性の観点に反しますので反対します。--究極の幻想 2009年12月20日 (日) 15:10 (UTC)[返信]
最初のときの発言とは違って、これは個人的意見なんだけれども。
「曽根崎心中は、カビの生えた古典ではなく、現代人にも訴えかけうる普遍性を持った作品である」ということを伝えるために、ロックだのフラメンコだのといった他ジャンル展開を書いたのが私の最初の意図です。なので、漫画だのヴォーカロイド作品だのといったサブカルチャーに影響を与えたのなら、ますますこの項目に書く必要性が高いと考えています。もちろん、数が増えるなら選別は必要になってくるでしょうし、シングル発売ではなくアルバムの中の一曲ということでの特筆性は議論の余地があるとは思いますが。
ところでこれは、また別の提案なんですが。作品を理解するうえでの必要性から行くと、他ジャンル展開よりはあらすじが優先だと思うのですが、概論の次にあらすじを移動してきてもいいでしょうかね? あらすじよりも、フラメンコやヴォーカロイド曲が大事だといわんばかりの構成も今の違和感の元だと思うのです(多分、その構成にしてしまった犯人は私なんですが)--Suguri F 2009年12月20日 (日) 17:23 (UTC)[返信]
Suguri F氏のあらすじの後には賛成です。作品としての記述が先でしょう。記述順の訂正と他ジャンル展開を分離、概要の次にあらすじに賛成します。しかしそこまで突っ込まれると一つ気になるのですが歌舞伎自体は正統派なのでしょうか?一般的には曽根崎心中=人形浄瑠璃と言う認識だと思われるのですがこちらも移動対象に含めた法が良いと思いますが。他ジャンルでの展開が多い割には露天神(通称お初天神)への言及が少なかったり色々問題ありますね。他ジャンルでの展開より重要な曽根崎心中の聖地とも言えるこの神社についてはこの問題が解決したら加筆しようと思います。曽根崎心中と神社の関係はこちらでもある程度言及しないといけないでしょう。それと個人的にはお初天神という固有名詞を記事中に入れたいってのもありますが。曽根崎心中から露天神に参拝する人は間違いなくお初天神と言う認識です。デP氏作品のカットは元々の議論では、特筆性の問題と言うより検証可能性の問題で消された可能性が高いです。むしろこの問題で、フラメンコや宇崎氏の楽曲まで削除されるのは記事の為にもプラスとは思えません。個人的には漫画、デP氏の楽曲は今まで原作に興味すら抱かなかった層を取り込んだという意味ではかなりの特筆性があると考えるのは妥当です。前回のリバート合戦はこれを盾に検証可能性を満たさないままに書き込んだのが原因なのです。なので問題点である検証可能性を満たしたので記述を行った訳ですが--究極の幻想 2009年12月21日 (月) 04:40 (UTC)[返信]
追記、勘違いでした歌舞伎が最初でした訂正させてもらいます。--究極の幻想 2009年12月21日 (月) 12:03 (UTC)[返信]
特に反対意見も無いようですので、漫画とデッドボールPの復活と「他ジャンルの展開」を「現代に蘇った曾根崎心中」から切り離し、「曾根崎心中をモチーフにした作品」とする。あらすじを概要の次に持ってくるを実行しようと思います。年明けまでは待ちますので、意見のある方はそれまでに意見をお願いします--究極の幻想 2009年12月29日 (火) 06:46 (UTC)[返信]

曾根崎心中をモチーフにした作品について[編集]

議論無しの一方的な削除が続いていましたので、一旦項目自体を削除しました。前回の結論は全て載せるか全て消すかでないと中立性の観点に反すると言うことでした。--究極の幻想 2010年11月21日 (日) 13:39 (UTC)[返信]