ノート:旭ヶ岡駅

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駅名の由来について[編集]

旭ケ丘町は喜志駅の西側一帯であり、1960年代以降に開発された住宅地です。位置・年代ともに、大正12年の旭ケ岡停車場の駅名の由来とするのは難しいと考えます。美具久留御魂神社の裏山を旭岡といい、美具久留御魂神社の一名を旭岡宮といいますので、こちらに由来するものと思われます。ただ大鐵全史しか読んでおりませんが、駅名の由来には触れられておりませんでした。--Days for archaeology会話2018年5月16日 (水) 03:16 (UTC)[返信]

宮ノ前停留場の位置について[編集]

大正9年の地図では粟ヶ池の西隣に「みやまゑ」が存在しています。後年の地図では同位置付近に「あさひがをか」が存在しており、宮ノ前と旭ヶ岡の位置は変わっていないように見えます。位置についての資料はありますでしょうか。--Days for archaeology会話2019年1月18日 (金) 03:47 (UTC)[返信]