ノート:新法・旧法の争い

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>南宋期とは反対に王安石が富国強兵策を行って北方民族に対抗しようとした意図から、王安石が漢民族の抵抗のシンボルになる事を危惧したからだとする説もある

と言うのは誰の説なのでしょうか?元王朝は基本的に文天祥などの元に抵抗した人物を称揚しており、直接戦った文天祥たちを称揚して、元とは接触の無い王安石を非難すると言うのは矛盾していると思うのですが?らりた 2006年3月10日 (金) 09:24 (UTC)[返信]

この問題がそうなのかは分かりませんが、基本的に元に限らず北方民族系の国家は漢民族の文化を受容しよう動きと民族主義的な動きが政争込みで対立して物事の評価が揺れ動く事がままあったために、一つの事柄に対する評価が一定に保たれていたとする見方には慎重な判断が必要だと思われます(特に宋史編纂期が漢民族支配の動揺期であったために元初と価値観が同じであったとは断言しかねますし)。取りあえず保留・要調査でしょう。--水野白楓 2006年7月27日 (木) 04:03 (UTC)[返信]