ノート:新井素子

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ライトノベル作家[編集]

従来の記述を覆して

ライトノベル作家ではない。

とお書きになったようですが、この記事には初版から「彼女の登場によってライトノベルというジャンルが始まったとする論もある」という記述がありますので、「でない」と断言してしまうとこのままでは矛盾してしまいます。

それに、少なくとも「ブラックキャット」や「……絶句」「扉を開けて」あたりは分類としてはライトノベルに分類することが可能なのではないでしょうか(勿論、SFであることとライトノベルであることは両立し得るでしょう)。

全ての人が受け入れるかどうかは別として、新井素子をライトノベル作家とみなす論もあって、それはそれほど特殊な論ではないと考えますが、いかがでしょうか。Yugui 18:18 2003年12月3日 (UTC)

特にご意見をいただけないようですので、SF作家であることを少し優先させるような形に記述を直して、ライトノベル作家であることを否定はしないようにしました。Yugui 03:08 2003年12月11日 (UTC)

客観的に[編集]

2005年の8月辺りの版から「なかろうか」「思われる」などエッセイというか執筆者の自説的な文章が入っているように思います。その辺を抜いた形で編集した方が良いのではないでしょうか。 By 健ちゃん 2006年12月3日 (日) 15:03 (UTC)[返信]

新井素子文体論争について[編集]

2007年1月3日の版で、散漫に思われた内容をまとめて大幅に編集させていただきました。

そのなかで新井素子文体論争については大幅に削除させていただいています。ひとつには、百科事典の枠を逸脱してしまっていると判断したためであり、「wikipediaは自説を開陳する場所ではない」という規範からも逸脱したと判断したからです。御容赦ください。

ただし、大塚英志説への反証は大変興味深いものでしたので、このノート上に残しておきます。by おーた 2007年1月3日

***

しかし、同人誌『トラルファマドール』第2号(1980年11月刊)に掲載された新井素子インタビューによれば、この発言は“「あの軽快なテンポと、適当なギャグと、あの辺の感じ」を持った話をこれから書きたい、という意味”であると本人が述べている。過去形になっているのは記事にまとめる際に記者が曲解したためであるらしい。このことから考えれば大塚説は独断の混じった拡大解釈であると言えるのではなかろうか。更に、新井素子当人はアニメや漫画からの影響について前記の『毎日新聞』の記事の他では特に触れていないという話もある。新井素子自身の言葉の中から反証を挙げてみる。

・エッセイ集『ひでおと素子の愛の交換日記』文庫版第3巻に、高校時代に「アニメにまったく興味がなかった」(P.60)との記述があること。

・『月刊OUT』1984年2月号掲載の竹宮惠子との対談にて、アニメはけっこう見るんじゃないですか、との司会者の問に「私テレビ全然見ませんから、見てないです」と答えていること。(お金を払って見たアニメ映画は『ルパン三世』2本と『銀河鉄道999』だけとの記述もある。)

・『まるまる新井素子』掲載の谷山浩子との対談にて、漫画を読んでいるからああいう文体になるのか、との谷山の問に「でも、まんが読み始めたのは小説書き出したあとからなんですよね」(P.48)と答えていること。

・『朝日ジャーナル』1984年6月29日号掲載の筑紫哲也との対談「若者たちの神々」にて、その独特の文体は「マンガよりも速く読める文体を作ろう」と思ったことが動機となり生まれたが、それ以降は漫画的な表現については考えたことがない、と語っていること。

*** --以上の署名のないコメントは、おーた会話投稿記録)さんが 2007年1月3日 (水) 14:07 に投稿したものです(ねこざめ会話)による付記)。

二人称としての「おたく」は、同時一般的な呼称であって、新井素子の影響はないでしょう。 あるとしたら、新井素子が当時の風潮に影響されたのだと思います。 初対面であまり親しくない人で、かつ地位が同格の人に対する呼称としての「おたく」は古くから存在します。 私自身、新井素子デビュー前から普通に使っていた記憶があります。 --以上の署名のないコメントは、Yokoyama-Tetsuya会話投稿記録)さんが 2009年3月2日 (月) 16:25‎ に投稿したものです(ねこざめ会話)による付記)。

随分古い記述なので今更コメントするのもどうかと思いますが、『まるまる新井素子』掲載の谷山浩子さんとの対談については、故意かどうかは分かりませんが都合よく引用されていると思います。確かにP48で「SFみたいなのを書き出したのは中学1年生くらいからで、まんが読み出したのが中学2年生くらいから」と発言されていますが(読み出したというのは当時の有名少女漫画雑誌は大抵読んでいたというレベルらしいです(P47))、これをもって文体が確立していく過程で漫画の影響が無かったと断じる事は出来ないのではないでしょうか。何よりこの発言より前(P47)で谷山さんの「かなり(漫画の)影響受けてんじゃないですか」という質問に対して「かもしれないです」と答えておられます。もちろんこの程度で本人が影響があったと認めたとも言い切れないとは思いますが。--Klarissa会話2013年4月27日 (土) 15:35 (UTC)[返信]

関連人物に関して[編集]

関連人物の項目について、「ファンという程度で関連人物にするのは不適。百科事典とに適した記述とは考えられない。」として一部を削除したところ、執筆者のKokada jnetさんから、私の会話ページ利用者‐会話:おーたに、

「小林信彦」を削除されていますが、その基準で削除すべきなのは「平井和正」のほうではないのでしょうか?

と疑義を出され、そのあと私の削除編集を差し戻されております。確かに、私から出した基準ではああそこにある項目の殆どは削除なので、「小林信彦」だけを削除するのは公平を欠いておりました。昨晩、PCの電源を落としてからそのことに思い至ったのですが、そのまま放ってあったこと申し訳ありません。

さて、改めて「関連人物」について議論させてください。Wikipediaは百科事典であり、ファンサイトではありません。ああいう、リスト形式の項目がサブカル関係で頻繁に用いられているのは知っていますが、作家が「誰々のファンだった」程度の記述をずらずらリスト形式で書き加えていくのはどう考えても百科事典の記述じゃありません。Wikipedia:著名性に照らし合わせても「関連人物」の項目に書かれていることはわざわざ書き加えることではありませんし、書き加えるにしても本文の中に記述すれば済むことです。その見地から編集させていただきたいのですが、いかがでしょうか?--おーた 2008年6月24日 (火) 15:35 (UTC)[返信]

ご趣旨了解しました。議論もせずに早速で申し訳ありませんが、「星新一」「平井和正」「小林信彦」は本文中に元来記載があるため、「関連人物」から削除し、そこに書かれていた情報は、その部分の「注釈」に移動してみました。これで如何でしょうか?--利用者:kokada_jnet 2008年6月25日 (水) 10:16 (UTC)[返信]
とりあえずは、宜しいのではないでしょうか。
で、残りの項目なんですが、「吾妻ひでお:共著でエッセイ(新井が文章、吾妻がイラスト)を執筆した。」ってのは、どこにWikipedia:特筆性があるんや!てな感じなので、削除します。著作リストをみればその情報は入っているんだし。谷山浩子の項目も同様。この程度の記述で「かかわりが深」かったら、そこらの作家には「関わりが深い」芸能人リストで溢れます。よって、「関連人物」の節をまるごと削除します。--おーた 2008年6月25日 (水) 14:14 (UTC)[返信]

作品のラジオ化について[編集]

 本文の編集するほどWikipediaに慣れていないのでノートに書かせてもらいます。

 作品のラジオドラマ化に関してですが、NHK-FMだけでも9作品程あるようですので、独立した項目として書き起こせないのでしょうか?

--Goog0 2010年10月12日 (火) 12:49 (UTC)[返信]

著作について[編集]

現時点(2019年10月24日)では、「単著」と「アンソロジー」の二つに分類されていますが、基本は単行本にして、「小説」「エッセイ」「その他(対談集とか)」くらいに分類したほうが見やすいような気がします。少しづつ編集を進めていくつもりですので、よろしくお願い致します。あと、漫画化、テレビ・ラジオドラマ化した作品については別項を立てて整理したほうがよいかも知れないですね。--ねこざめ会話2019年10月23日 (水) 19:40 (UTC)[返信]