ノート:斎藤道三

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

『信長公記』の信憑性[編集]

『信長公記』の信憑性について疑念を提示されていますが、それを確証付ける、資料か論文を提示していただけないでしょうか。 以上の署名の無いコメントは、Moltke会話履歴)氏が[2005年6月17日 (金) 08:09 (UTC)]に投稿したものです(Njtによる付記)。[返信]

勝者の記録であるから信用できないとのこと
http://www16.plala.or.jp/amber-devil/mitsuhide04.htm
以上の署名の無いコメントは、218.45.114.199会話/whois)氏が[2005年7月28日 (木) 04:37 (UTC)]に投稿したものです(Njtによる付記)。[返信]
↑のHPの情報ソースを示してください。
以上の署名の無いコメントは、221.251.119.220会話/whois)氏が[2005年7月28日 (木) 06:23 (UTC)]に投稿したものです(Njtによる付記)。[返信]

親子二代説への改稿[編集]

生涯についてそろそろ親子二代国盗り説にそって書き換えたほうが良いと思われます。 以上の署名の無いコメントは、GAVVA会話履歴)氏が[2006年4月1日 (土) 18:08 (UTC)]に投稿したものです(Njtによる付記)。[返信]

二代説に基づく全面改稿を支持します。--Kangoshiyouichi 2007年10月14日 (日) 11:21 (UTC)[返信]
現在の通説となっている親子二代説に主軸をおいた内容に改稿してみました。不具合があれば適宜修正してくださいませ。--shimoxx 2007年11月11日 (日) 13:41 (UTC)[返信]
付けたり -- 今回参考にしたのは小和田哲男先生と国史大辞典です。ですんで、ここ10年の研究動向はフォローできてません。悪しからず。--shimoxx 2007年11月11日 (日) 13:43 (UTC)[返信]
ありがとうございます。--Kangoshiyouichi 2007年11月23日 (金) 13:11 (UTC)[返信]

一文銭の逸話[編集]

油売り時代、一文銭の穴から油を注ぎ、「品質がよいからこういうつぎ方ができる。縁にかかって汚れたらお代はいただかない」というパフォーマンスをして人気を博したという逸話があるようです(坂口1948)が、これは坂口安吾の創作でしょうか、それとも信長公記等の史書にあるものでしょうか。割合有名なエピソードのようなので、必要な記述と思うのですが、出典が創作なのかどうか明記できないので保留にしています。--Njt 2006年9月13日 (水) 04:51 (UTC)[返信]

私もこの件について書こうか迷っていました。「猛き黄金の国 道三」においては、僧として修行中に経を読むのに飽きて槍を永楽銭の穴に突き刺していたとされているので差し支えなければ書きたいのですが…--show241 2007年11月6日 (火) 19:20 (UTC)[返信]
信頼できる史料には見えないエピソードですので、創作である可能性が高そうです。-shimoxx 2007年11月20日 (火) 17:53 (UTC)[返信]

これは江戸寛永末年頃の成立とみられる歴史書『美濃国諸旧記』巻一「土岐氏零落斎藤道三の事」にあるエピソードであり、坂口安吾の創作ではありません。『美濃国諸旧記』に、道三が美濃で油を売っていた頃に「私は油を計る時に、漏斗を使わず一文銭の穴から油を注ぐことができます。縁にかかって汚れたらお代はいただかない」と言ったので、世間の人は皆他の油売りから買わず道三からだけ油を買っていた、とあります。尚、海音寺潮五郎の『武将列伝』(1975)では、『美濃国諸旧記』を考証して、大永年間の頃ではないかとしています。僧として修行中云々は創作でしょう。斎藤道三(正確に言えば長井新左衛門尉でしょうが)の若い頃の資料としては、『美濃国諸旧記』『六角文書』以外に依拠できる史料は余り無いと思いますし、学界でも通俗的な歴史読み物では『美濃国諸旧記』を依拠史料として使うことは余り珍しくはありません。取り敢えず、出典明記可能ということですので、加筆しておきます。--中根東竜 2010年11月14日 (日) 04:17 (UTC)[返信]

春日文書[編集]

斎藤道三二代説の根拠とされている春日文書が古史古伝の項に名前が出てきてますが信頼できるソースたりうる史料なんですか? --203.138.148.28 2007年2月26日 (月) 03:23 (UTC)[返信]

春日文書を元に素人が二代説を主張しているのではありません。30年以上前の研究で明らかなことです。これについては「近年」という表現もそろそろ改めるべきです。--以上の署名のないコメントは、61.206.106.29会話/Whois)さんが 2007年5月7日(月)09:55 に投稿したものです。
春日文書の他にも江濃記などもあげられると思うのですが。--以上の署名のないコメントは、125.28.188.45会話/Whois)さんが 2007年5月10日(木)17:49 に投稿したものです。
古史古伝に挙げられている『春日文書』と、親子二代説の根拠とされている『春日力氏所蔵文書』とは全くの別物です。--shimoxx 2007年11月20日 (火) 17:53 (UTC)[返信]

とある創作作品への言及について[編集]

時間がたったら除去しようと思いますのでよろしくお願いします。私も歴史は門外観なんであんま他人の書いたもんにとやかくいえる立場じゃないんですがね(笑)。--Kangoshiyouichi 2007年10月20日 (土) 06:05 (UTC)[返信]

マンガ『猛き黄金の国 道三』での道三像が詳述されていましたが、本項で言及すべき内容ではありませんので消去しておきました。書くのであれば該当のマンガ項目に書くべきでありましょう。--shimoxx 2007年11月20日 (火) 17:53 (UTC)[返信]

道三の由来について[編集]

2006年7月16日(日)07:09差分の加筆部分は、「~と思われる」と書いてあるように、独自の考察と強く推定されましたので、消しときました。2006年12月26日(火)14:20差分の加筆部分については、私が当たった信頼できる情報源には見当たらなかった事項でしたので、失礼ながら「要出典」テンプレをつけておきました。1週間~10日ほどおいても出典が示されなければ消しておきますね。--shimoxx 2007年11月12日 (月) 18:29 (UTC)[返信]

出典の提示がありませんでしたので、文章を消去しておきました。--shimoxx 2007年11月20日 (火) 17:53 (UTC)[返信]

親子二代説への改稿その2[編集]

親子2代説に関してですが、横山住雄氏の「斎藤道三と義龍・龍興―戦国美濃の下克上」が出されてかなり今までの動向と違う部分が出てきています。(道三だけでなく頼芸、頼純、新左衛門など全面的に変更が必要なくらい) それで、見やすさ等の改変は加えながらも旧説は残し(一般のイメージはまだまだこちらなので)、新説も加えていくのがいいと思うのですがどうでしょうか?--源氏輪に根笹会話2015年12月13日 (日) 09:35 (UTC)[返信]

感謝[編集]

2400:4051:82A0:2500:74DD:15C4:8F5F:382A 今人よ会話2020年9月23日 (水) 12:41 (UTC)[返信]

さんの記述を以前自分が「出典がなく検証可能ではない」として元に戻したのを2400:4051:82A0:2500:8536:295C:2CBC:A91Fさんが出典を出して記述してくれました。本当にありがとうございます。 今人よ会話2020年9月23日 (水) 12:44 (UTC)[返信]

土岐頼次について[編集]

土岐頼次は本文中に1542年に追放されたと書いてありますが実際に彼が生誕するのは1545年です。