ノート:敦盛 (幸若舞)

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敦盛を舞ったのは生駒吉乃?[編集]

現在要出典が付いている“桶狭間の戦いの前に敦盛を舞ったのは信長ではなく「吉乃の前」である”という内容の部分ですが、書き方からして[1]の個人サイトの考察を出典にしたのではと見受けられます。これによると武功夜話をおおもとのソースとしているようです。信長公記と武功夜話のどちらが正しいかはともかく、一度武功夜話に関する書籍を確認した上で「(一方)武功夜話では~~としている」という書き方にしてはどうでしょうか?自分も機会があればそちらを当ってみようかと思います。--Kamitani 2009年4月4日 (土) 09:11 (UTC)[返信]

人間はジンカンではない[編集]

「人間(じんかん)五十年」と記述されていますが、実際の幸若舞では呉音で「にんげん」と謡います。世間では「人の世の意で用いるときはジンカンと読む」とか「本来はジンカンと読んだ」などとデタラメを吹聴する人があり、漢和辞典も人の世の意味ではジンカン(漢音)としか読まないような記述をしていることがありますが、根拠はありません。そもそも呉音が仏教とともに日本に入って来た頃は漢音は存在しておりません。漢音が日本に伝わった後もニンゲン・ジンカン両方の読みがあったのであり、まして仏教の倶舎論を踏まえた「敦盛」ならば昔から仏教らしく呉音で読んできたはずです。ついでに言いますと、ニンゲンという読みのほうが世間でふつうだったからこそ、日本のみの誤用である「人類・人格」という意味の「人間」がニンゲンという音に対してのみ定着したと考えられます。だからといって本来の意味の「人間」をジンカンとしか読んではいけないわけではありません。現代ではニンゲンと読むと人類の意味に誤解されやすいからといって、昔からニンゲンと読まれているものをジンカンに変えてしまうべきということも、もちろんありません。--青田ミク会話2013年7月4日 (木) 09:21 (UTC)[返信]